シーラカンス(読み)しーらかんす(英語表記)coelacanths

日本大百科全書(ニッポニカ) 「シーラカンス」の意味・わかりやすい解説

シーラカンス(魚)
しーらかんす
coelacanths

古生代中生代に繁栄し現在に至るまで生存している肉鰭類(にくきるい)の一群の魚に対する英語名。日本語では空棘類(くうきょくるい)、管椎類(かんついるい)などと訳されているが、シーラカンスのほうが一般によく知られている。シーラカンス類は肉鰭類のなかでも特殊化したグループで、早い時期に淡水から海へ移住した。海産のシーラカンス類の化石は古生代後期から中生代にかけて発見されているが、新生代の堆積(たいせき)物中からはまだみつかっていない。そこでシーラカンス類はおよそ7500万年前に絶滅したものと思われていた。

[籔本美孝]

現生種の発見

1938年12月22日、南アフリカ共和国南東部のイースト・ロンドン西方沖合いで生きたシーラカンスが底引網にかかり、現存種のいることがわかった。この個体は剥製(はくせい)にされ、イースト・ロンドンの博物館に保存されている。皮膚と頭この標本を研究した同国のスミスJames Leonard Brierley Smith(1897―1968)は、発見者ラティマーMarjorie Courtenay-Latimer(1907―2004)と発見場所(シャルムナ川河口沖合い)にちなんで、ラティメリア・カルムナエLatimeria chalumnaeと命名した。第二次世界大戦後、シーラカンス捕獲のために多額の賞金がかけられた結果、2003年現在までに300個体近いシーラカンスが捕獲されている。シーラカンスはコモロ諸島沿岸とモザンビーク沖合いの深みにすんでいることもわかった。1998年にはインドネシアのスラウェシ島周辺海域で別のシーラカンスが発見され、ラティメリア・メナドエンシスL. menadoensisと命名された。現在、2種の現生シーラカンスが発見されていることになる。

[籔本美孝]

形態

現生のシーラカンス(ラティメリア)はもっとも古いデボン紀のものと基本的にほとんど違わない。化石種は鰾(ひょう)(うきぶくろ)が石灰化しているが、現生のラティメリアでは、脂肪様物質で満たされている。またデボン紀の種類では脳が頭蓋腔(ずがいこう)の大部分を占めていたと考えられているが、ラティメリアでは、脳は頭蓋腔の100分の1以下の体積しかない。鱗(うろこ)はコスミン鱗(原始的な総鰭類肺魚類にみられる鱗)か、その退化したものである。

 化石種は一般に小形であったが、白亜紀には3メートルを超える大形のものもいた。現生のラティメリアは2メートル近くにも達し、数千万年もの間原始的形質を受け継いできた遺存種である。化石から卵胎生であると推測されていたが、現生のシーラカンスを解剖することによってこれらが証明された。

[籔本美孝]

『J・L・B・スミス著、梶谷善久訳『生きた化石――シーラカンス発見物語』(1981・恒和出版)』『末広陽子著『ゴンベッサよ永遠に――幻の化石魚シーラカンス物語』(1988・小学館)』『キース・S・トムソン著、清水長訳『シーラカンスの謎』(1996・河出書房新社)』『北九州市立自然史・歴史博物館/福岡文化財団編、籔本美孝著『シーラカンス――ブラジルの魚類化石と大陸移動の証人たち』(2008・東海大学出版会)』『サマンサ・ワインバーグ著、戸根由紀恵訳『「四億年の目撃者」シーラカンスを追って』(文春文庫)』『上野輝弥著『シーラカンス――はるかな古生代の証人』(講談社現代新書)』


シーラカンス(建築事務所)
しーらかんす

建築事務所。1985年(昭和60)、東京大学原広司研究室の博士課程に在籍していた大学院生らがシーラカンス・アーキテクツとして活動をはじめ、86年伊藤恭行(やすゆき)(1959― )、工藤和美(1960― )、小泉雅生(まさお)(1963― )、小嶋一浩(かずひろ)(1958―2016)、堀場弘(1960― )、日色真帆(ひいろまほ)(1961― )により会社組織シーラカンス設立。1998年(平成10)に伊藤、小泉、小嶋と三瓶満真(さんぺいみつまさ)(1964― )、宇野享(とおる)(1963― )のパートナーシップによる「シーラカンス アンド アソシエイツ(C+A)」、そして工藤と堀場による「シーラカンスK&H」が設立され、初期シーラカンスの活動を拡張している。日色はC+A監査役。

 シーラカンスは現代都市が住人の多様なアクティビティを可能にするように多様な住み方を許容する建築をめざす。都市の多様性の分析から組み立てた計画論で、氷室アパートメント(1987、大阪府枚方(ひらかた)市。朝倉賞)や桜台アパートメント(1990、東京都練馬区。吉岡賞)などをデザインした。アドリブのようなランダムなかたちを許容する独自の計画論を進め、さらにコンピュータを用いたシミュレーションや、利用者とのワークショップの方法などを建築デザインへ広く適用した。既存の計画手法や建築プログラムによらない方法論によって数々の公開コンペで優勝し、集合住宅より規模が大きく、プログラムが複雑な公共建築、大阪国際平和センター(通称ピース大阪。1991、大阪市)、千葉市立打瀬(うたせ)小学校(1995)、ビッグハート出雲(1999、島根県)などを実現する。

 千葉市立打瀬小学校は小さな単位の空間が集まった、集落のような低層の建築である。ニュータウンの核になるコミュニティ施設としても機能するように、地域住民に開放され、新しい学校のあり方を示したとして1997年、日本建築学会賞作品賞受賞。ビッグハート出雲は駅前の広場につながるコミュニティ施設である。ホール、ギャラリー、スタジオ、レストランなど多様なプログラムをまとめ、内部と外部が入り組んで人の出会いやコミュニケーションを生む「ラジエター(暖房機)型」と名づけた形態に収めている。内部ではさまざまなボリュームがリズミカルにつながれ、利用者がさほど多くない時間帯でも、活気ある路地のような空間をつくり出している。

 シーラカンスはパートナーシップを組んだ複数の建築家が対等の立場で設計に当たってきた。そのため設計の各レベルの方法論を直観にたよらずに厳密に論理化し、語彙化することが必要であった。組織のあり方や意思決定方法は、クリストファー・アレグザンダーの「パタン・ランゲージ」(参加型都市計画・建築設計の方法論。家族、コミュニティ、都市などを家、都市、施工の三つのカテゴリー、253の「パタン」に分け、それを言語のように用いて説明する)の方法と同様で、それは一方で建築物の設計過程に住人や利用者が参加することも可能にしたのである。

 シーラカンスとしてのそのほかの代表的な作品には吉備(きび)高原幼稚園(1997、岡山県)、吉備高原小学校(1998)がある。

 その理論的展開の果てに、1998年を境にシーラカンスは一つの組織体であることを止めた。その後、C+Aは鴻巣(こうのす)市文化センター(通称クレアこうのす。2000、埼玉県)、宮城県迫桜(はくおう)高等学校(2001、宮城県栗原郡)など、K&Hは大阪市水上消防署(1998)、ベイステージ下田(2000、静岡県)、有田陶芸倶楽部(2000、福岡県)、奈良屋幼稚園(2000、福岡県)、福岡市立博多小学校・奈良屋公民館(2001)などを手がけている。

[鈴木 明]

『ギャラリー・間企画・編集『シーラカンスJAM』(1997・TOTO出版)』『「特集 シーラカンス 12年間の展開と次なる展開に向けて」(『SD』1998年7月号・鹿島出版会)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シーラカンス」の意味・わかりやすい解説

シーラカンス
Latimeria chalumnae; coelacanth

シーラカンス目シーラカンス科の海水魚。中生代に栄えたシーラカンス目魚類の遺存種で,「生きている化石」といわれる。全長 1.8mをこえる。1938年12月22日,南アフリカ共和国のイーストロンドン付近カルムナ川沖 3.5~10kmの場所で発見された。本種の種小名はこの川の名に,属名は発見者であるマージョリー・コートニー=ラティマー M.C-.Latimerに由来する。体はがっちりしており,腹鰭は腹位。胸鰭,腹鰭は葉状有鱗で,主軸となる骨列の両側には側骨列がある。現生種では最も原始的な硬骨魚類と考えられている。腸はサメ類のような螺旋弁をもつ。胎生。南西インド洋のモザンビーク海峡にあるコモロ諸島,マダガスカル島周辺などに分布する。

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