デジタル大辞泉 「シーラカンス」の意味・読み・例文・類語
シーラカンス(coelacanth)
[補説]ミトコンドリアDNA分析の結果から、アフリカとインドネシアのシーラカンスは3000~4000万年前に、コモロ諸島とタンザニア北部の集団は少なくとも20万年前に、遺伝的に分岐したと考えられている。
「生きた化石」とも呼ばれる海水魚。インドネシアやアフリカ南部などに分布し、成魚の体長は1・5メートル前後。魚類から四肢動物への進化過程をとどめているとされる。約4億年前に出現し、数千万年前に絶滅したと考えられていたが、1938年に南アフリカで初めて現生種が見つかった。国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストは、現生の2種を絶滅危惧種に指定。化石では約130種が確認されている。
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古生代と中生代に繁栄し現在に至るまで生存している肉鰭類(にくきるい)の一群の魚に対する英語名。日本語では空棘類(くうきょくるい)、管椎類(かんついるい)などと訳されているが、シーラカンスのほうが一般によく知られている。シーラカンス類は肉鰭類のなかでも特殊化したグループで、早い時期に淡水から海へ移住した。海産のシーラカンス類の化石は古生代後期から中生代にかけて発見されているが、新生代の堆積(たいせき)物中からはまだみつかっていない。そこでシーラカンス類はおよそ7500万年前に絶滅したものと思われていた。
[籔本美孝]
1938年12月22日、南アフリカ共和国南東部のイースト・ロンドン西方沖合いで生きたシーラカンスが底引網にかかり、現存種のいることがわかった。この個体は剥製(はくせい)にされ、イースト・ロンドンの博物館に保存されている。皮膚と頭この標本を研究した同国のスミスJames Leonard Brierley Smith(1897―1968)は、発見者ラティマーMarjorie Courtenay-Latimer(1907―2004)と発見場所(シャルムナ川河口沖合い)にちなんで、ラティメリア・カルムナエLatimeria chalumnaeと命名した。第二次世界大戦後、シーラカンス捕獲のために多額の賞金がかけられた結果、2003年現在までに300個体近いシーラカンスが捕獲されている。シーラカンスはコモロ諸島沿岸とモザンビーク沖合いの深みにすんでいることもわかった。1998年にはインドネシアのスラウェシ島周辺海域で別のシーラカンスが発見され、ラティメリア・メナドエンシスL. menadoensisと命名された。現在、2種の現生シーラカンスが発見されていることになる。
[籔本美孝]
現生のシーラカンス(ラティメリア)はもっとも古いデボン紀のものと基本的にほとんど違わない。化石種は鰾(ひょう)(うきぶくろ)が石灰化しているが、現生のラティメリアでは、脂肪様物質で満たされている。またデボン紀の種類では脳が頭蓋腔(ずがいこう)の大部分を占めていたと考えられているが、ラティメリアでは、脳は頭蓋腔の100分の1以下の体積しかない。鱗(うろこ)はコスミン鱗(原始的な総鰭類と肺魚類にみられる鱗)か、その退化したものである。
化石種は一般に小形であったが、白亜紀には3メートルを超える大形のものもいた。現生のラティメリアは2メートル近くにも達し、数千万年もの間原始的形質を受け継いできた遺存種である。化石から卵胎生であると推測されていたが、現生のシーラカンスを解剖することによってこれらが証明された。
[籔本美孝]
『J・L・B・スミス著、梶谷善久訳『生きた化石――シーラカンス発見物語』(1981・恒和出版)』▽『末広陽子著『ゴンベッサよ永遠に――幻の化石魚シーラカンス物語』(1988・小学館)』▽『キース・S・トムソン著、清水長訳『シーラカンスの謎』(1996・河出書房新社)』▽『北九州市立自然史・歴史博物館/福岡文化財団編、籔本美孝著『シーラカンス――ブラジルの魚類化石と大陸移動の証人たち』(2008・東海大学出版会)』▽『サマンサ・ワインバーグ著、戸根由紀恵訳『「四億年の目撃者」シーラカンスを追って』(文春文庫)』▽『上野輝弥著『シーラカンス――はるかな古生代の証人』(講談社現代新書)』
建築事務所。1985年(昭和60)、東京大学原広司研究室の博士課程に在籍していた大学院生らがシーラカンス・アーキテクツとして活動をはじめ、86年伊藤恭行(やすゆき)(1959― )、工藤和美(1960― )、小泉雅生(まさお)(1963― )、小嶋一浩(かずひろ)(1958―2016)、堀場弘(1960― )、日色真帆(ひいろまほ)(1961― )により会社組織シーラカンス設立。1998年(平成10)に伊藤、小泉、小嶋と三瓶満真(さんぺいみつまさ)(1964― )、宇野享(とおる)(1963― )のパートナーシップによる「シーラカンス アンド アソシエイツ(C+A)」、そして工藤と堀場による「シーラカンスK&H」が設立され、初期シーラカンスの活動を拡張している。日色はC+A監査役。
シーラカンスは現代都市が住人の多様なアクティビティを可能にするように多様な住み方を許容する建築をめざす。都市の多様性の分析から組み立てた計画論で、氷室アパートメント(1987、大阪府枚方(ひらかた)市。朝倉賞)や桜台アパートメント(1990、東京都練馬区。吉岡賞)などをデザインした。アドリブのようなランダムなかたちを許容する独自の計画論を進め、さらにコンピュータを用いたシミュレーションや、利用者とのワークショップの方法などを建築デザインへ広く適用した。既存の計画手法や建築プログラムによらない方法論によって数々の公開コンペで優勝し、集合住宅より規模が大きく、プログラムが複雑な公共建築、大阪国際平和センター(通称ピース大阪。1991、大阪市)、千葉市立打瀬(うたせ)小学校(1995)、ビッグハート出雲(1999、島根県)などを実現する。
千葉市立打瀬小学校は小さな単位の空間が集まった、集落のような低層の建築である。ニュータウンの核になるコミュニティ施設としても機能するように、地域住民に開放され、新しい学校のあり方を示したとして1997年、日本建築学会賞作品賞受賞。ビッグハート出雲は駅前の広場につながるコミュニティ施設である。ホール、ギャラリー、スタジオ、レストランなど多様なプログラムをまとめ、内部と外部が入り組んで人の出会いやコミュニケーションを生む「ラジエター(暖房機)型」と名づけた形態に収めている。内部ではさまざまなボリュームがリズミカルにつながれ、利用者がさほど多くない時間帯でも、活気ある路地のような空間をつくり出している。
シーラカンスはパートナーシップを組んだ複数の建築家が対等の立場で設計に当たってきた。そのため設計の各レベルの方法論を直観にたよらずに厳密に論理化し、語彙化することが必要であった。組織のあり方や意思決定方法は、クリストファー・アレグザンダーの「パタン・ランゲージ」(参加型都市計画・建築設計の方法論。家族、コミュニティ、都市などを家、都市、施工の三つのカテゴリー、253の「パタン」に分け、それを言語のように用いて説明する)の方法と同様で、それは一方で建築物の設計過程に住人や利用者が参加することも可能にしたのである。
シーラカンスとしてのそのほかの代表的な作品には吉備(きび)高原幼稚園(1997、岡山県)、吉備高原小学校(1998)がある。
その理論的展開の果てに、1998年を境にシーラカンスは一つの組織体であることを止めた。その後、C+Aは鴻巣(こうのす)市文化センター(通称クレアこうのす。2000、埼玉県)、宮城県迫桜(はくおう)高等学校(2001、宮城県栗原郡)など、K&Hは大阪市水上消防署(1998)、ベイステージ下田(2000、静岡県)、有田陶芸倶楽部(2000、福岡県)、奈良屋幼稚園(2000、福岡県)、福岡市立博多小学校・奈良屋公民館(2001)などを手がけている。
[鈴木 明]
『ギャラリー・間企画・編集『シーラカンスJAM』(1997・TOTO出版)』▽『「特集 シーラカンス 12年間の展開と次なる展開に向けて」(『SD』1998年7月号・鹿島出版会)』
硬骨魚綱総鰭(そうき)亜綱Crossopterygiiシーラカンス目に属する魚の総称。この類はおよそ4億年前の古生代デボン紀に出現し,各地の淡水域で生活していたもので中生代には海にも生息するようになった。多数の化石種が残されているが,7000万年ほど前の中生代白亜紀の終りまでに絶滅したと考えられていた。しかし,1938年に至り現存種のあることがわかった。これは翌年スミスJ.L.B.Smithによって記載公表されたが,属名のラチメリアLatimeriaは発見者のラティマーM.C.Latimerの名にちなみ,また種名は漁獲された場所が南アフリカ東岸のシャルムナ川の河口沖であったのにちなんでL.chalumnaeと命名された。その後,さらにマダガスカル島近海でこれと近縁のMalania anjouanaeが発見されたが,前種と同一種ではないかといわれている。いずれにせよ,この類はこれまでの記録ではアフリカ南東沖コモロ諸島周辺の水深70~600m内外に多い。体は全身が一様に青褐色を帯び,厚い円鱗で覆われる。眼は小さい。胸びれと腹びれは葉状で,いずれも肢のような肉質の柄を備えている。このような対鰭(ついき)の形態から進化の途上でこの類に近い祖先が原始的な両生類を派生したものと考えられ,脊椎動物が魚類から四足動物へ進化した当時の状態を知るうえで重要とみなされてきた。背びれは2基あり,これらとしりびれとの基部には厚い骨質の基底板がある。尾びれは上,中,下の3葉からなり,特異な形を呈する。頭蓋骨は眼の後方で前後の2部に分かれ,その間には軟骨があって可動性の関節をなしている。上顎(じようがく)骨も頭蓋骨と接着せず離れている。また内鼻孔をもたない。脊椎骨は椎体のくぎりがなく,管状になっている。腸にはらせん弁があり,うきぶくろは退化して,化石種では石灰化しているが現生種では中に脂肪を満たしている。筋肉は白身で,脂肪を多量に含み,加熱するとゼリー状になる。卵胎生で雌のほうが雄より大きい。全長150cm程度。本種は上述のようにさまざまな原始的形質を備えているので〈生きている化石〉といわれている。
執筆者:上野 輝弥+日比谷 京
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…すなわち,アメリカのバイソンのように,かつては個体数が豊富であったのに少数しか残存していないもの(数量的遺存種),メタセコイアのようにユーラシアの広い地域に分布していたものが,現在は中国四川省の限定された狭い地域にだけ生き残っているもの(地理的遺存種),シャミセンガイのように5億年もの間,ほとんど変化することなく例外的にゆっくりと進化したもの(系統的遺存種),ゾウのようにかつてはたくさんの類縁種があったのに,現在では2種しか存在せず類縁種の数が少なくなったもの(分類的遺存種)などである。これらのカテゴリーは互いに関連しあい,シーラカンスなどの場合はすべての意味での遺存種といえるが,ゾウのような場合は系統的遺存種とはいえないし,よく遺存種として扱われているオーストラリアの有袋類は,厳密にはそうはいえない面もある。また環境の変化にかかわらず,以前の環境条件を反映しているものを環境的あるいは生態的遺存種とよぶこともある。…
…一方,卵巣腔中にいる胚の方も発生の一時期にひじょうに大きなひれを発達させ,この表面から栄養を吸収しているらしい。シーラカンスも胎生魚である。子を口に含んで育てるマウスブリーダーのような魚や,背中の皮膚に凹所をつくり,そこで卵を孵化させるコモリガエルなども特殊な形式に分化した広義の胎生の一種であるといえよう。…
※「シーラカンス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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