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コロンビア史 コロンビアし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

コロンビア史
コロンビアし

16世紀初頭アンデス東部山系高地では,定住農耕を営むチブチャ族などが多数の小首長国を形成していたが,1538年 G.ヒメネス・デ・ケサダが率いるスペイン人がこの地域を武力制圧,ボゴタ市を建設した。スペインはボゴタを首都として植民地ヌエバグラナダを組織し,1717年には副王をおいた。 1810年ヌエバグラナダの各地で独立運動が起り,19年 S.ボリバルの指導下に大コロンビア共和国が独立した。その後ベネズエラ (1829) ,エクアドル (30) が分離し,ほぼ今日のコロンビア共和国の形ができあがった。 32年初代大統領 F.サンタンデルが就任。 19世紀なかばに自由,保守の二大政党制が発足した。 1860年代には自由党 T.モスケラ政権が州権主義,反教権主義の政策を強行したが,80年代保守党の R.ヌニェスが 86年憲法を制定して中央集権,行政府強化,教会宥和を掲げ,その死 (94) 後 1930年まで保守党の優位が保たれた。保守党時代には特産物コーヒーの栽培が本格化し,特に第1次世界大戦中にアンティオキア県がめざましい発展をとげた。 1903年パナマが分離。 30年から 46年まで自由党政権。 48年自由党政治家 J.ガイタンの暗殺を契機としたボゴタ市大暴動に続き,農村部で両党支持者間に死者 20万ともいわれる流血の抗争が起った。これは長期化し,軍部の介入 (53~57) を招いた。 58~74年両党は「国民戦線」という協定を結んで,大統領を交互に出し,閣僚や行政府ポストを折半するなど政治的競争を凍結して事態の沈静化をはかった。この体制の影響は 82年の選挙まで残った。 1980年代債務危機では慎重な財政運営が功を奏して傷は浅かったが,一方で左翼ゲリラや麻薬組織メデリン (メデジン) ・カルテルの動きが激しく,深刻な治安問題といった悩みもかかえることになった。

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