ローマ市にある初期キリスト教時代創建の大聖堂。313年,コンスタンティヌス大帝はラテラノ宮殿をローマ大司教の居所として寄進し,そこにバシリカ式教会堂が建てられた。当時の建築は部分的にしか残らず,現在のバシリカは17世紀にボロミーニらによりほぼ全面的に改築されたもの。改築前の様子は,ローマのサン・マルティーノ・アイ・モンテ教会の壁画などからしのばれる。付属のサン・ジョバンニ・イン・フォンテ洗礼堂は,当初は円形プランであったが,教皇シクストゥス3世(在位432-440)によって八角形プランに改築された。バロック期に一部改修されたが,当時のモザイクも残る。また,使徒ヨハネ礼拝堂のボールトには神の小羊を表す5世紀のモザイクが,ベナツィオ礼拝堂にはキリストの半身像およびマリアと使徒や教皇らを表す7世紀のモザイクが見られる。
執筆者:浅野 和生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ローマの四大バシリカの一つ。4世紀前半に創建された。1309年までローマ法王はこの大聖堂に隣接するラテラノ宮に居住した。現在の建物は1646年から1734年にかけて改築されたバロック式。アプス(内陣後方の半円形の突出部)のモザイクは13世紀のもの。南外側にある回廊は1232年に完成した当時のままの古雅な姿をとどめている。北西側にある八角形の聖ヨハネ洗礼堂は、324年創建当時のままの基本形をもち、きわめて貴重な建造物で、後世の洗礼堂の様式に大きな影響を与えた。なお、この大聖堂のあるローマ歴史地区は教皇領、サンパオロ・フォーリ・レ・ムーラ教会とともに世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[紅山雪夫]
…ここで彼は,フランチェスコがラテン語に代えて俗語で頌歌を歌い,福音書を説いて民衆に直接訴えたように,この聖人にまつわる伝説を明快かつ簡潔に,力強い造形力をもって説き明かしている。1300年の聖年祭を前に,おそらく〈フランチェスコ伝〉の完成を弟子たちに託し,ローマに行き,サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂に聖年祭を記念する壁画を描いた(断片しか残っていない)。その後フィレンツェに戻り,バディーア教会のために多翼祭壇画や壁画を制作する。…
…ついで手がけた当時のローマ大学の付属礼拝堂,サンティーボ・アラ・サピエンツァSant’Ivo alla Sapienzaは同様な方法の発展であり,その幻想的な空間は彼の達した最高の境地を物語るものであるが,同時に,ドーム頂上の〈知恵〉を象徴する螺旋状の小塔にも示されるように,建物のあらゆる部分が寓意に満たされていることも見のがせない。彼は熱烈な支持者に支えられて財政的に豊かでない修道会の仕事を多く引き受けたが,教皇インノケンティウス10世在位のあいだは,その引立てでサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂の改修(1646‐50)のような工事を引き受けている。これは軀体部分のみで終わったが,彼の方法のゴシックへの接近を示すリブ入りのボールト天井が実現しなかったのは惜しまれる。…
※「サンジョバンニインラテラノ大聖堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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