シャルトル学派(読み)シャルトルがくは

改訂新版 世界大百科事典 「シャルトル学派」の意味・わかりやすい解説

シャルトル学派 (シャルトルがくは)

シャルトルに形成された中世哲学の学統。シャルトルはパリの南西にあり,6世紀に修道院がおかれ,司教フルベルトゥスFulbertus(960ころ-1028)のときに付属学校が開かれて自由学芸の活発な展開を見,12世紀には当時のプラトン研究の中心をなすまでになった。シャルトルのベルナールはプラトンの《ティマイオス》に従って自然有機体説をとなえ,ベルナルドゥス・シルウェストリスはこれに生命を与える〈宇宙霊魂〉を神的なものに高めて汎神論的傾向をおびるに至った。このプラトン主義のゆえにイデアの実在が説かれ,ギルベルトゥス・ポレタヌスソールズベリーヨハネスはこれを主張したが,同時にアリストテレス主義に従って個体概念の成立にも関心を示した。ヨハネスはこの学派の中心人物で,古典にもとづく人文主義を掲げ,修辞学を盛んにしたほか,叙任権闘争においては自然法を実定法に優先させる考えを示して,これに反する君主を抹殺すべきことを説いた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シャルトル学派」の意味・わかりやすい解説

シャルトル学派
シャルトルがくは
L'ecole de Chartres

中世初頭からフランスのシャルトルには多くの学院が存在したが,990年司教フルベルトゥスの創立した学院の学者たちはシャルトル学派の名で呼ばれ,12世紀前半に全盛期を迎え,シャルトルは学問の中心地となった。この学派の特色はまず普遍問題におけるプラトニズムであり,さらには自由七科を中心とする幅広い人文主義である。その自然科学的関心の強さは当時知られはじめたアラビア科学を積極的に取入れようとしたことでも知られる。代表的な学者としては,シャルトルのベルナルドゥス,ポアティエのジルベール,シャルトルのテオドリクスの3代にわたる学院長,コンシュギヨームらがおり,深い関係にあった学者としてソールズベリのヨハネス (→ジョン ) がいる。

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世界大百科事典(旧版)内のシャルトル学派の言及

【ギヨーム・ド・コンシュ】より

…初期スコラの哲学者。シャルトル学派に属し,12世紀の人文主義の精神をもって文学・自然学の研究に向かった。《宇宙哲学》では,神に関する多くの事柄は理性によっても探求できるとの考えを示した。…

【ギルベルトゥス・ポレタヌス】より

…初期スコラの神学者,哲学者。ポアティエに生まれ,シャルトルのベルナールに学んで,シャルトル学派の代表的人物となる。のちに生地で司教となった。…

※「シャルトル学派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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