シャルル9世
シャルルきゅうせい
Charles IX
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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シャルル[9世]
Charles Ⅸ
生没年:1550-74
フランス国王。在位1560-74年。アンリ2世の第2王子。兄王の急死により10歳で即位,まもなく宗教戦争が開始された。実権は摂政として母后カトリーヌ・ド・メディシスが握り,国王は成人して後も彼女の強い影響下にあった。新旧両派の均衡の上に王権を強めようとしたが失敗,サン・バルテルミの虐殺事件を黙認することになった。この事件以後国事から遠ざかり,2年後に若くして死んだ。
執筆者:林田 伸一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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シャルル9世(シャルルきゅうせい)
Charles Ⅸ
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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シャルル9世
生年月日:1550年6月27日
フランス王(在位1560〜74)
1574年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のシャルル9世の言及
【サン・バルテルミの虐殺】より
…殺害された者の数については,同時代人の評価でも,全国で2000人から10万人と大きな隔りがあるが,宗教的不寛容が極端な形をとった典型的事例である。フランスは1562年以来ユグノー戦争に突入していたが,70年ごろより新旧両派の抗争は小康状態にあり,その象徴として,新教派の総帥アンリ・ド・ナバール(のちの[アンリ4世])とシャルル9世の妹マルグリット・ド・バロア(マルゴ姫)との結婚契約が成立し,8月18日パリで盛大な婚儀が行われた。しかし,旧教派の首領アンリ・ド・ギーズHenri I de Guiseは,新教派の重鎮[コリニー]提督の国政への影響力増大を嫌い,提督の暗殺を企てたが,これに失敗(8月22日),ユグノー派の総反撃を恐れ大量殺戮へと走った。…
※「シャルル9世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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