宗教戦争(読み)シュウキョウセンソウ

デジタル大辞泉 「宗教戦争」の意味・読み・例文・類語

しゅうきょう‐せんそう〔シユウケウセンサウ〕【宗教戦争】

宗教上の問題に起因する戦争。一般には、宗教改革後の16~17世紀、ヨーロッパにおけるカトリックプロテスタントとの対立抗争によって起こった国内的、国際的戦争をさす。ユグノー戦争オランダ独立戦争三十年戦争など。

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精選版 日本国語大辞典 「宗教戦争」の意味・読み・例文・類語

しゅうきょう‐せんそうシュウケウセンサウ【宗教戦争】

  1. 〘 名詞 〙 宗教上の争いが原因で起こった戦争。特に、一六~一七世紀のヨーロッパで、キリスト教のプロテスタントとローマ‐カトリック教の対立・抗争からひき起こされた国内的および国際的戦争。政治的な問題と結びついたものが多く、オランダ独立戦争(八十年戦争)、ドイツの三十年戦争、フランスのユグノー戦争、イギリススペインの抗争などが有名。
    1. [初出の実例]「水戸の党派争ひは殆んど宗教戦争に似てゐて」(出典:夜明け前(1932‐35)〈島崎藤村〉第一部)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「宗教戦争」の意味・わかりやすい解説

宗教戦争
しゅうきょうせんそう

広義には、宗教問題が重要な理由となって起こった戦争全般について用いられるが、本来の意味では、宗教改革を契機として起こった新旧両派間の一連の戦争をさす。したがって、12世紀末から13世紀の初めにかけて行われたアルビジョア十字軍、フスの処刑後ローマ教皇の要請によって神聖ローマ皇帝の派遣した十字軍とボヘミアのフス派との間のフス戦争(1419~36)も、広い意味では宗教戦争に含まれる。宗教改革時代でも、ジッキンゲンを指導者としてドイツの騎士たちがトリール大司教を攻撃して起こった騎士戦争(1522)、ドイツ農民戦争(1524~25)が宗教戦争に入れられるときには、この広義においてである。

[中村賢二郎]

狭義での宗教戦争

それに対して、本来の意味での宗教戦争に含まれるのは、ツウィングリの宗教改革運動に伴うスイスでの新旧諸州間のカッペルの戦い(1529.31)、皇帝派と新教派諸侯・帝国都市との間のシュマルカルデン戦争(1546~47)、フランスのユグノー戦争(1562~98)、カルバン派ジュネーブサボア公国との戦争(1589~93)、オランダ独立戦争(1572~1648)、そして三十年戦争(1618~48)である。カッペルの戦い、シュマルカルデン戦争が狭義での宗教戦争に含まれるのに対して、同じ宗教改革時代の騎士戦争、ドイツ農民戦争がそれに含まれない理由は、あまり明瞭(めいりょう)ではない。後二者は、宗教改革が契機となって起こってはいるが、本来は身分間、階級間の対立から起こった戦乱であるという説明も可能であり、そういう見方により狭義の宗教戦争から除外する慣行が踏襲されているだけのことである。他方、それらに宗教的要因のあることを重視する学説もあり、一概には論じられない。

[中村賢二郎]

宗教戦争の性格

狭義での宗教戦争とされる諸戦争も、宗教的対立だけから起こったのではない。カッペルの戦いも、チューリヒの勢力拡張政策に対する旧教諸州の戦いという一面をもっていた。シュマルカルデン戦争は皇帝カール5世の新教抑圧政策から起こったが、新教派諸侯が新教の立場を守り抜こうとした理由には、宗教改革によって確立した領内の教会支配体制と没収修道院財産を手放すまいとしたことがあった。しかも、新教派のザクセン公モーリッツが政治的野心から皇帝派について新教派を敗戦に導いたこと、新教派のシュマルカルデン同盟が旧教派のフランスに援助を求めて働きかけていたことも見逃してはならない事実である。ユグノー戦争も、旧教派のギーズ公、新教派のブルボン家をそれぞれの党派の指導者とする貴族層の政権争いという一面をもち、それが内乱を長期化させた最大の理由であった。この内乱は、ブルボン家のアンリ4世が王位についたあと、自らは旧教に改宗するとともに、ナントの王令(1598)を発布して新教徒に信仰の自由を認めたことで終息したが、ユグノー戦争の末期にはスペインのフェリペ2世がフランスの旧教派に援軍を送っていた。スペインは旧教派の牙城(がじょう)をもって任じ、反動宗教改革攻勢の拠点となっていただけでなく、当時スペインから独立しようとする新教派のオランダと戦っていたところから、ユグノー戦争にも介入して旧教派を援助したのであった。

[中村賢二郎]

外国勢力の介入

このころから、宗教的対立には絶えず外国勢力の政治的利害が絡み、宗教戦争は外国の介入を交えることになる。ジュネーブとサボア公国との戦争でも、新教派のスイス都市ベルンがジュネーブを援助したほか、ジュネーブがサボア領になることを好まない旧教国フランスが援助を行い、一方スペインはサボアに援軍を送った。このジュネーブとサボアとの戦争は、全ヨーロッパ的視野においてみるとフランスとスペインの対立を基軸として戦われた代理戦争的な色彩が濃厚であったといえる。

 オランダ独立戦争は、スペイン領であったネーデルラントでの新教派弾圧に端を発したが、スペインの強圧政策、重税賦課、軍隊の略奪暴行が住民の反抗をよび、ネーデルラント17州全体の独立運動へと発展したものであった。その独立運動でもっとも戦闘的であったのはカルバン派の人々であったが、新教派はネーデルラント全住民のなかでは少数派であり、したがってこの独立戦争は宗教戦争という概念だけで割り切れるものではない。また、この戦争でも、新教国のイギリスと旧教国のフランスがネーデルラントを援助したが、それは、イギリスが植民地貿易でスペインと抗争し、フランスがハプスブルク家と対立関係にあったという事情によるものである。この独立戦争では、旧教派住民が圧倒的に多かった南部10州が中途で脱落し、北部7州だけが最後まで戦い抜いて、1648年のウェストファリア条約で独立を承認されるが、その最終局面では三十年戦争と連動して戦いが進められた。

[中村賢二郎]

最後の宗教戦争

三十年戦争も、オーストリア・ハプスブルク家のボヘミアでの反動宗教改革攻勢、新教派弾圧が発端となり、ボヘミア議会が新教派のプファルツ選帝侯フリードリヒ5世を国王に選んだこと、ドイツ全土でも新教派諸侯と旧教派の皇帝・諸侯との対立が激化していたことのために、ドイツ全体に波及したが、その戦争を長期化させたものは外国勢力の介入である。すでにボヘミアの内乱の局面で皇帝はスペインに援助の交渉を行い、オランダとの戦争を続行していたスペインは応諾して、ライン左岸のプファルツ選帝侯領を占領し、イタリアからネーデルラントへの軍隊輸送路を確保したが、外国勢力の本格的な介入は、デンマーク王クリスティアン4世の参戦(1625)に始まる。しかもクリスティアンはイギリスとオランダから援助を受けていた。クリスティアンの参戦はドイツの新教徒擁護を名目としたが、ドイツ北部に対する領土的野心からであり、イギリス、オランダがそれに援助を与えたのは、スペインの弱体化に目的があってのことである。デンマーク軍は皇帝とドイツの旧教派諸侯軍に敗れて、クリスティアンはその野心を放棄しなければならなかったが、同じくドイツ北部に領土的野心をもつスウェーデングスタフアドルフがフランスの援助を受けて、新教徒擁護を口実に1630年から参戦した。旧教国フランスのスウェーデン援助は、フランスを間に挟むスペイン、オーストリア両ハプスブルク家の弱体化のためであり、グスタフの戦死(1632)のあと、スペインの援助を受けて皇帝軍が優勢となってからは、フランスはスウェーデン、新教派諸侯の黒幕としての立場を捨てて、公然と参戦する。外国の新教派に対するフランスの援助はジュネーブとサボアとの戦争以後ほとんどつねに行われてきたことであるが、ここにきて参戦の形をとったのであり、ウェストファリア条約でライン川左岸に領土を獲得し、オランダの独立が承認されてスペインが衰運に向かい、またドイツでは皇帝の地位が低下したことにより、その目的は十分に遂げられた。

 以上のように、宗教戦争は新旧両派の対立から起こってはいるが、宗教問題だけから起こったのではなく、とくにユグノー戦争以後はフランス対スペイン・オーストリア両ハプスブルク家の対立を基軸とする国際的な政治利害が絡んで、外国の介入を招き、さらには国際戦争に発展した。しかし三十年戦争を最後に、ヨーロッパでは宗教的対立による大規模な内乱や紛争、外国勢力によるそれへの介入はなくなる。三十年戦争が最後の宗教戦争といわれる理由である。

[中村賢二郎]

『G・R・エルトン著、越智武臣訳『宗教改革の時代』(1973・みすず書房)』『G・リヴェ著、二宮宏之・関根素子訳『宗教戦争』(白水社・文庫クセジュ)』『中村賢二郎著「三十年戦争」(『世界の戦史5』所収・1966・人物往来社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「宗教戦争」の意味・わかりやすい解説

宗教戦争
しゅうきょうせんそう
Wars of Religion

16世紀中頃から 17世紀にかけて,ヨーロッパの各地でキリスト教の諸宗派の間に行われた一連の戦争。宗教改革によって生れたルター主義,ツウィングリ主義,カルバン主義,アングリカニズム (イギリス国教会主義) など,プロテスタンティズムの諸教会が,いずれも政治権力との結びつきのもとで領域支配を実現したのに対し,カトリック教会側もいわゆる反宗教改革を通じて政治的に自己の勢力再建をはかろうと努めたことから起った。ドイツのシュマルカルデン戦争とカルル5世の治世晩年におけるプロテスタント諸侯の反乱,フランスのユグノー戦争オランダ独立戦争,スペインの無敵艦隊 (アルマダ) とイギリス海軍の戦い,初期の三十年戦争などがその代表的なもの。これらは,カトリシズムを奉じるハプスブルク家という超大勢力を一方の軸として行われたところから,互いに多かれ少なかれ関連をもっており,通商上の経済的利害ともからみ合って,海上でのゲリラ戦をも伴った。戦争の形態としては,イタリア戦争の場合と同様,典型的な傭兵戦争の性格をもち,国土の破壊や住民からの略奪が著しく,この政教紛争の経験を通じて宗教的寛容の思想が強まることとなった。

宗教戦争[フランス]
しゅうきょうせんそう[フランス]

「ユグノー戦争」のページをご覧ください。

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改訂新版 世界大百科事典 「宗教戦争」の意味・わかりやすい解説

宗教戦争 (しゅうきょうせんそう)

広義には,宗教をめぐって起こったすべての戦争をさすが,とくに,西洋史の分野では,宗教改革後の16~17世紀に,カトリック,プロテスタント両派の対立を大きな原因として起こった一連の戦争をさして用いられる。そのおもなものは,オランダ独立戦争(八十年戦争),フランスのユグノー戦争,ドイツを中心とした三十年戦争があげられる。そこでは,信教の自由が争点となったが,ヨーロッパの覇権をめぐる政治的争いが戦争を大きく拡大したといえる。

 現代においても,中東戦争やインド・パキスタン戦争を〈宗教戦争〉とよぶ場合もあるが,宗教的対立が必ずしも真の原因ではなく,そこには宗教的対立をあおる社会的政治的問題や国際関係がひそんでいることを見落としてはならない。したがって,宗教戦争という概念では,個々の戦争もまた連続する一連のものも,正しくとらえることはできなくなっているといえよう。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「宗教戦争」の意味・わかりやすい解説

宗教戦争【しゅうきょうせんそう】

西洋史の分野では,宗教改革による新旧両派対立が,やがて政治的・国際的紛争に転化した結果,16世紀半ばから17世紀に展開された一連の武力抗争をさす。フランスのユグノー戦争,オランダ独立闘争(八十年戦争),ドイツを中心とする三十年戦争などが主要なもの。抗争の結果は教権に対する政治権力の優位をもたらし,思想的には宗教的寛容論の展開をみた。
→関連項目騎士ゲッティンゲン

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「宗教戦争」の解説

宗教戦争(しゅうきょうせんそう)

宗教改革が生み出したカトリック,プロテスタント両教会の対抗のもとで,16世紀後半から17世紀前半にかけて,全西ヨーロッパ的規模で展開された宗教的・政治的な紛争。フランスのユグノー戦争をはじめ,オランダ独立戦争,イギリスとスペインの角逐,ドイツでの三十年戦争などの諸局面を含む。これらを通じて政治権力の宗教に対する優位が実証されるとともに,思想的には啓蒙主義の宗教的寛容が促進された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「宗教戦争」の解説

宗教戦争
しゅうきょうせんそう
religions wars

宗教改革期の16〜17世紀のヨーロッパで,新教・旧教の対立を含んで行われた国内的・国際的諸戦争
おもなものはドイツのシュマルカルデン戦争・三十年戦争,オランダ独立戦争,イギリス女王エリザベス1世とスペイン王フェリペ2世の抗争,フランスのユグノー戦争など。いずれも宗教的対立に政治的対立が結びついて起こり,やがて政治権力の優位をもたらした。

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世界大百科事典(旧版)内の宗教戦争の言及

【政教分離】より


[歴史]
 ヨーロッパにおいて政教分離は一回的できごとではなく,歴史過程のなかで徐々に進行したが,巨視的に見れば三つの画期を指摘することができる。聖職叙任権闘争,宗教戦争,およびフランス革命である。 中世世界においては,国家と宗教(キリスト教)の区別は未知の事柄であった。…

【ユグノー戦争】より

…1562年より98年にかけてフランスに起こったカトリック派とプロテスタント派の武力抗争。当時フランスのカルバン派は,カトリックからユグノーと呼ばれていたことから,日本ではこの内乱を〈ユグノー戦争〉と呼びならわしているが,ヨーロッパの歴史学は〈宗教戦争guerres de Religion(フランス語),Religious Wars(英語)〉と呼ぶのが通例である。ネーデルラントの〈乞食団(ゴイセン)〉のスペインに対する反乱や,ドイツを舞台にした三十年戦争とともに,近世ヨーロッパに吹き荒れた代表的な宗教戦乱であり,宗教改革に端を発する国際的規模での信仰上の対立が濃い影を落としている。…

※「宗教戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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