カトリーヌドメディシス

デジタル大辞泉 「カトリーヌドメディシス」の意味・読み・例文・類語

カトリーヌ‐ド‐メディシス(Catherine de Médicis)

[1519~1589]フランス国王アンリ2世の妃。フィレンツェメディチ家出身。熱心なカトリック教徒で夫の死後摂政として王権維持を図り、新教徒抹殺を企て、サンバルテルミーの虐殺を行った。芸術の愛好者としても知られる。

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精選版 日本国語大辞典 「カトリーヌドメディシス」の意味・読み・例文・類語

カトリーヌ‐ド‐メディシス

  1. ( Catherine de Médicis ) フランスのアンリ二世の王妃。フィレンツェのメディチ家の出。シャルル九世の摂政となり、サン‐バルテルミーの新教徒虐殺を計画。一方で芸術の愛好家としても知られた。(一五一九‐八九

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百科事典マイペディア 「カトリーヌドメディシス」の意味・わかりやすい解説

カトリーヌ・ド・メディシス

フランス国王アンリ2世の妃。フィレンツェのメディチ家の出身。イタリア・ルネサンス文化の風をフランスに吹きこんだ。末期バロア朝の病弱な諸国王の母で,シャルル9世の摂政でもあった。ユグノー戦争の間,王権維持に腐心し,マキアベリ的術策を用いた。サン・バルテルミの虐殺の計画者といわれる。
→関連項目イタリア料理シャルル[9世]バレエピロンフランス料理フランソア[2世]

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改訂新版 世界大百科事典 「カトリーヌドメディシス」の意味・わかりやすい解説

カトリーヌ・ド・メディシス
Catherine de Médicis
生没年:1519-89

フランスの王妃。父はメディチ家のウルビノ公ロレンツォ。1533年,フランス王フランソア1世の第2子アンリ(のちのアンリ2世)と結婚。3人の国王(フランソア2世,シャルル9世アンリ3世)と2人の王妃(フェリペ2世の王妃エリザベト,アンリ4世の王妃マルグリット)の母として,ユグノー戦争の混乱時代を,寛容を信条に,国王の尊厳の確立とバロア王家の存続のために生き抜いた。シャルル9世の未成年の時代は摂政を務め,新教徒を抑圧して,サン・バルテルミの虐殺(1572年8月24~25日)を黙認した。存命中から〈毒盛り女〉のイメージを不当にも強調されてきたが,イタリア・ルネサンス文化の移入を通してフランス宮廷文化の発展に寄与した功績は大きい。アンリ2世の愛人ディアヌ・ド・ポアティエとの葛藤,アンリ2世の不慮の死,そして宗教改革の嵐の中で,知性と教養と政治力にあふれた彼女の資質は《書簡集》(1880-1909)にあまねく残されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カトリーヌドメディシス」の意味・わかりやすい解説

カトリーヌ・ド・メディシス
Catherine de Médicis

[生]1519.4.13. イタリア,フィレンツェ
[没]1589.1.5. フランス,ブロア
フランス王アンリ2世の妃。メディチ家のウルビノ公ロレンツォ・ディ・ピエロ・デ・メディチの娘。1533年アンリと結婚,3人の国王(フランソア2世シャルル9世アンリ3世)を生んだ。シャルル9世の摂政となり,ユグノー戦争のなかにあってカトリックとユグノー派プロテスタント両教徒の均衡の維持に努め,1563年アンボアーズの和解勅令に署名した(→アンボアーズの陰謀)。しかし,プロテスタントの首領コリニー伯の勢力拡大からシャルル9世を守るためにカトリックの首領と手を結び,1572年8月24日,サン=バルテルミ祭の鐘を合図にコリニー以下の虐殺を行なった(→サン=バルテルミの虐殺)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カトリーヌドメディシス」の意味・わかりやすい解説

カトリーヌ・ド・メディシス
かとりーぬどめでぃしす
Catherine de Médicis
(1519―1589)

フランス国王アンリ2世の王妃。父はメディチ家のウルビーノ公ロレンツォ2世、母はフランス王家の血を引くマドレーヌ。1533年14歳のときオルレアン公(後のアンリ2世)と結婚し、10人の子宝に恵まれた。3人の国王と2人の王妃の母として、16世紀後半の政治と社会を大混乱に陥れた宗教戦争のなか、弱体化しつつあったバロア王家の権威の確立に寄与した。初期は寛容精神に基づく新教、旧教両派の協調の実現を目ざしたが、挫折(ざせつ)すると新教徒幹部の抹殺を企て、サン・バルテルミーの虐殺を引き起こした。彼女の個性は、美術、文化の領域でいかんなく発揮され、宮殿の造営に力を注ぎ、王権の高揚のため宴と祭りを頻繁に開催し、絵画や美術品の収集に専念し、歌謡、音楽、演劇を一つにしたバレエを創作して後のオペラの起源とした。現存の膨大な『書簡集』にその秀でた文章の資質を読み取れる。

[志垣嘉夫]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「カトリーヌドメディシス」の解説

カトリーヌ・ド・メディシス
Catherine de Médicis

1519~89

フィレンツェメディチ家の娘で,アンリ2世の妃。フランソワ2世,シャルル9世アンリ3世の母でもあり,シャルル9世の摂政として新旧両教徒の均衡のうえに王権の安定を策したが,定見に欠けた。サン・バルテルミの虐殺の責任者の一人でもあった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「カトリーヌドメディシス」の解説

カトリーヌ=ド=メディシス
Catherine de Médicis

1519〜89
フランス王アンリ2世の妃
フィレンツェのメディチ家の娘で,フランソワ2世・シャルル9世・アンリ3世の母。ユグノーを弾圧した夫の死後,摂政となり,カトリックとユグノーの勢力均衡をはかったが失敗。カトリック派のギーズ公アンリと結んでサン−バルテルミの虐殺を行い,以後ユグノー戦争は激化した。ヴァロワ朝断絶直前に病死した。

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367日誕生日大事典 「カトリーヌドメディシス」の解説

カトリーヌ・ド・メディシス

生年月日:1519年4月13日
フランス,アンリ2世の王妃
1589年没

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世界大百科事典(旧版)内のカトリーヌドメディシスの言及

【香水】より


[ヨーロッパ]
 1370年ころハンガリー王妃エリザベトの愛用したハンガリー水が広義の香水の初めといわれ,フランスでは16世紀の中ごろから香料植物の栽培と香料の製造が盛んになった。それはフィレンツェのメディチ家からフランス王アンリ2世に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスが非常な香料愛好家であったからだといわれている。しかしフランスの宮廷をはじめ貴族や富豪が争って香料や化粧品を使うようになったのは,彼女が政治的支配を確実にするために,宮廷に軟弱な佞臣(ねいしん)をつくるという目的があったからだともいわれている。…

【サン・バルテルミの虐殺】より

…しかし,旧教派の首領アンリ・ド・ギーズHenri I de Guiseは,新教派の重鎮コリニー提督の国政への影響力増大を嫌い,提督の暗殺を企てたが,これに失敗(8月22日),ユグノー派の総反撃を恐れ大量殺戮へと走った。この計画に王母カトリーヌ・ド・メディシスが荷担していたことは明らかだが,国王シャルル9世は最後の土壇場で計画への同意を余儀なくされたものと見られている。新教派では,コリニー提督をはじめ,婚儀に参集していたリーダーが多数落命したが,一般市民層においても,異端撲滅の叫びの中で一種魔女狩りの状況が現出された。…

【タバコ(煙草)】より

… ヨーロッパにおける最初のタバコ栽培は,ゴジエが1558年にフロリダから種子(ルスチカ種)を持ち帰り,ポルトガルのリスボンの王宮の庭にまいたことに始まる。当時,ポルトガル駐在のフランス大使であったジャン・ニコJean Nicotはこの種子を譲り受けて,59年母国の皇太后カトリーヌ・ド・メディシスに頭痛薬として送った。彼女がそれを嗅ぎタバコとして用いたことにより,パイプタバコを紳士の体面をけがすものと排斥していたフランスの宮廷でも,ようやく嗅ぎタバコが流行するようになる。…

【バレエ】より

…このよく考案され,優雅な暗示に富んだ宴会狂言は,全ヨーロッパを通じて有名になり,各宮廷でも同じようなものを演ずるようになった。 この流行はフィレンツェのメディチ家娘カテリーナ(フランスではカトリーヌ・ド・メディシス)という熱心な保護者を得て,フランスの宮廷に移し植えられた。カトリーヌはアンリ2世に嫁ぎ,のちに王となる3人の息子を生んだが,フランスの勢力と富を外国に誇示するために,この宴会の余興に力を注いだ。…

※「カトリーヌドメディシス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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