コリニー(読み)こりにー(英語表記)Gaspard de Coligny

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コリニー」の意味・わかりやすい解説

コリニー
Coligny, Gaspard de Châtillon, Comte de

[生]1519.2.16. シャティヨンシュルロアン
[没]1572.8.24. パリ
フランスの軍人提督モンモランシー公の甥にあたる。ユグノー戦争前半期におけるユグノーの指導者。 1557年サンカンタンをスペイン軍から死守したが,降伏をすすめられて 59年まで捕虜生活をおくる。その間にカルバニスムに改宗。サンジェルマン平和条約 (1570.8.8.) 以後は国王シャルル9世の信任を得た。コリニーは国王を対スペイン戦争に引入れることに努力したが,母后カトリーヌ・ド・メディシスはこの戦争を望まず,ユグノーの指導者たちの抹殺を国王に説得し,72年8月 23日から 24日にかけてサン=バルテルミの虐殺が敢行された。 24日の夜明け,コリニーは襲撃を受け,この虐殺の犠牲者となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「コリニー」の意味・わかりやすい解説

コリニー
こりにー
Gaspard de Coligny
(1519―1572)

フランスの提督。ユグノー教徒の指導者。カトリック信仰のもとで育ち、国王アンリ2世の信任を得て提督となり、ピカルディー総督として北からのスペイン進出の撃退に努めた。兄オデOdet(1517―71)の影響を受けて1559年にユグノーに改宗。宗教戦争が始まると、ユグノー派の首領として行動し、ジャルナックやモンコントゥルの戦いでは敗れたが、ギエンヌやラングドックでは勢力を挽回(ばんかい)した。サン・ジェルマンの和議(1570)のあと宮廷に復帰。国王シャルル9世をスペインとの国民戦争に引き入れようと画策したが、政敵ギーズ公アンリの手先銃撃を受けて負傷、九死に一生を得た。その直後サン・バルテルミーの虐殺の最初の犠牲者となった。

[志垣嘉夫]

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