ジャヤバルマン2世(読み)ジャヤバルマンにせい(英語表記)Jayavarman II

改訂新版 世界大百科事典 「ジャヤバルマン2世」の意味・わかりやすい解説

ジャヤバルマン[2世]
Jayavarman Ⅱ
生没年:?-850

カンボジアのアンコール朝の創建者といわれ,王朝発展の基礎を築いた王。在位802-850年。諡号(しごう)パラメシュバラ(〈至高君主〉の意)。その系譜などには不詳な部分が多いが,8世紀末インドネシアのジャワから帰国して分裂していた国内を再統一し,802年にマヘンドラパルバタ(アンコール遺跡に近いプノンクレーン丘)にバラモン僧を招いて即位式を挙げ,ジャワの宗主権を否定するなどの儀式を執り行った。王の足跡はほぼ現在のカンボジアの範囲にわたり,国内各地の拠点建設と容赦のない征行に明け暮れたといわれる。それゆえ後世の碑文は〈マヘンドラの上に住んだ王〉の別名で畏敬し,王権の創始者と考えている。王はハリハラーラヤ都城(ロリュオス遺跡)で死去した。最近,王の在位年を802-834年とする説が提起されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジャヤバルマン2世」の意味・わかりやすい解説

ジャヤバルマン2世
ジャヤバルマンにせい
Jayavarman II

[生]770頃
[没]850. ハリハララヤ
カンボジア,アンコール朝を開いた王(在位 802~850)。分裂していたクメール族の国(→真臘)の王位継承者であったが,ジャワ人(→シャイレーンドラ朝)のカンボジア遠征によりジャワに連行された。800年頃帰国した後,カンボジアをジャワの宗主権から解放し,802年新王朝を開いた。在位中,乱れていた国内の再統一に努力し,都をコンポンチャムの東,メコン川下流のインドラプーラ,次いでその北方シエムレアプ南東にあるハリハララヤ,さらにトンレサップ湖の北にあるマヘンドラパルバータに移した。神王崇拝を導入して王権を強化,以後 600年以上にわたるアンコール朝繁栄の基礎を築いた。

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世界大百科事典(旧版)内のジャヤバルマン2世の言及

【真臘】より

…王都の伊奢那城(現在のサンボール・プレイ・クック遣跡で,コンポントム州にある)は,王が謁見する大会堂と戸数2万以上の大城であり,国内には30あまりの大城があったという。639年にはバババルマン2世が在位し,息子のジャヤバルマン1世Jayavarman I(在位657‐681)が南部のメコン川デルタ地帯までを征服し,国内を統一した。しかし後継者不在のため,まもなく国内は群雄が割拠する状況となり,中国史料によると,神竜年間(705‐706)に水真臘と陸真臘(別名は文単)に分裂した。…

※「ジャヤバルマン2世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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