コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

真臘 しんろう Zhen-la; Chên-la

5件 の用語解説(真臘の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

真臘
しんろう
Zhen-la; Chên-la

東南アジアの大陸部,メコン川中・下流域を中心に,6世紀以降存在したクメール (カンボジア) 族の国をさす中国名。この名の原名についてはいまだに判然としない。この国はメコン川中流域のバサック (現ラオス南部) に興り,初め扶南国の属国であったが,6世紀中葉に独立し,扶南国を攻めてその領土の大部分を併合した。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

しんろう〔シンラフ〕【真臘】

カンボジアクメール人が建てた王朝の中国名。6世紀ごろ、メコン川中流域に興り、8世紀に分裂したが、9世紀に再統一。アンコールワットに代表されるクメール文化をつくって繁栄したが、14世紀ごろからタイの圧迫を受け、しだいに衰退した。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

真臘【しんろう】

6世紀中ごろ扶南(ふなん)から独立してメコン川中流域に興ったクメール族の国をさす中国名。この国は,7世紀には逆に扶南を合わせ,やがて8世紀初め扶南を中心とするメコン川デルタ地帯の水真臘とビエンチャン(あるいはバサック)を中心とする陸真臘に分裂した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

しんろう【真臘】

6世紀にメコン川中流域に興ったクメール族(カンボジア人)の国の中国名。《隋書》巻八十二に初出するが,国名の由来は不明である。真臘はかつて扶南(ふなん)の属国であったが,しだいに強盛となり,7世紀に扶南を併合した。王統は隠者カンブと仙女メラーを始祖とすると伝えられる。史料上からは598年にバババルマン1世が在位し,《隋書》に載る質多斯那(チトラセーナ・マヘンドラバルマン)王が600年ころ登位したことが知られている。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

真臘
しんろう

メコン川中流域に6世紀ごろ興ったカンボジア人の国の中国語名称。16世紀後半に「柬埔寨(カンボジア)」と改めるまで使用され、真臘は扶南(ふなん)国の属国であったという。名称の由来は不明。初出は『隋書(ずいしょ)』。598年にバババルマン1世が登場、ついでチトラセーナ・マヘンドラバルマン(質多斯那)王、616年に中国へ初朝貢のイーシャナバルマン(伊奢那先)1世、657年からのジャヤバルマン1世治下で南北カンボジアを統一。しかし、8世紀初めに南の水真臘と北の陸真臘に分裂した。802年にジャヤバルマン2世が登位し、国内再統一を行い、アンコール朝を開いた。9世紀末にヤショバルマン1世が最初の王都を造営し、以後、真臘の諸王は次々とこの地に都城、大寺院を建設、そのなかには有名なアンコール・ワットとアンコール・トムがある。最盛期の12世紀前半と13世紀初めには、インドシナ半島の大部分を版図とする大帝国であった。その後、真臘は急速に衰退した。1296年訪問した中国人周達観が『真臘風土記(ふどき)』を著した。真臘は14世紀後半からアユタヤ朝の攻撃を受け、1432年に王都が陥落し、南部へ遷都した。[石澤良昭]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の真臘の言及

【カンボジア】より

…(1)前アンコール時代(紀元前後から802),(2)アンコール時代(802‐1432),(3)後アンコール時代(1432‐1863),(4)フランス植民地時代(1863‐1953),(5)民族国家建設時代(1953年から現在まで)。
[前アンコール時代]
 インド文明の受容から扶南国の興起とクメール真臘の南下の時代である。南部のメコン・デルタから沿岸地方にかけて扶南が展開し,外港がオケオであった。…

【扶南】より

…混塡の子孫の混盤況,盤盤へと王位は継承され,次いで将軍の范師蔓(はんしまん)が王となり,近隣を征服して扶南大王と名乗った。その支配地域は,西はマレー半島北部から大ビルマに及び,東ではベトナムのチャンパ王国と国境を接し,北には属国の真臘(しんろう)を従えていた。次の范旃(はんせん)王の治下の229年ころ,中国の呉の使者朱応と康泰が扶南に来航し,そのおりインド大月氏(クシャーナ朝)の使者も到来,両国の使者が出会ったといわれる。…

※「真臘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

真臘の関連キーワードクメールクメール族メコン川扶南柬埔寨摩訶陀メコン地域チャンパサック王国ドバーラバティ高地クメール族

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone