コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ステンカ・ラージンの乱 ステンカ・ラージンのらん

2件 の用語解説(ステンカ・ラージンの乱の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ステンカ・ラージンの乱
ステンカ・ラージンのらん

ラージン」のページをご覧ください。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ステンカ・ラージンの乱
すてんからーじんのらん
Разинщина Razinshchina ロシア語

1667~71年のロシア農民戦争。17世紀に、中央ロシアの農奴制の強化に伴い増大した逃亡農民のコサック加入や、コサック内での階層分化の進展により、「ゴルイチバ」とよばれる無産コサックが増加して、彼らの間に政府に対する不満が高まった。そこに指導者ステンカ(ステパン)・ラージンが現れ、ゴルイチバを結集して反乱を起こした。彼は、67年春、ゴルイチバを率いてドン川からボルガ川に出、船舶を襲い、カスピ海に出たのち、ヤイク(ウラル)川の河畔で越年し、69年にかけてカスピ海沿岸の諸都市を略奪し、ドン川に帰って本営を築いた。さらに70年春、数千のコサックを率いて本営を出、反乱を宣してボルガ川に現れた。ツァリーツィン(現ボルゴグラード)、アストラハンを占領し、7月からボルガ川をさかのぼり、たちまちサラトフサマラを占領したのち、シンビルスクを包囲した。反乱は、ボルガ川一帯とドン川中・下流地域に波及し、農民のみならず都市下層民、少数民族や政府軍の一部を巻き込み、その間占領地ではコサック式の自治が敷かれ、ラージンはツァーリの役人と農奴制の圧制から全ロシアを解放すると宣言して、モスクワ政府に著しい脅威を与えた。しかし10月、西欧式訓練を受けた政府軍の攻撃に反乱軍は大敗し、ラージンはドン川の本営に逃れたが、71年4月にコサック首脳部の裏切りによって逮捕され、モスクワで処刑された。政府軍は同年末にはアストラハンを占領して、反乱を終息させた。[伊藤幸男]
『阿部重雄著『帝政ロシアの農民戦争』(1969・吉川弘文館)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone