サマラ(読み)さまら(その他表記)Самара/Samara

日本大百科全書(ニッポニカ) 「サマラ」の意味・わかりやすい解説

サマラ
さまら
Самара/Samara

ロシア連邦西部、サマラ州の州都ロシアのヨーロッパ部南西、ボルガ川中流の流路が大きく湾曲する部分の左岸、サマラ川との合流点にある。1935年までサマラとよばれていたが、ソ連共産党の指導者の名をとってクイビシェフКуйбышев/Kuybïshevと改名され、90年に旧名に復した。人口116万8000(1999)。ロシアの工業、交通の大中心地の一つ。

 工業はロシア革命(1917)後、急速に発達し、多くの部門をもっている。主要な工業は機械、金属加工業で、工作機械、航空機、マグネット、モーター、ケーブル、発電機、ベアリング、自動車・トラクター部品の製造のほか、石油、食品、軽工業の設備製造などもある。また、革命前から発展していた食品工業も盛んであり、製粉、マカロニ製造、ビール醸造、チョコレート、食肉加工、たばこ製造の各工場がある。建設資材工業も発展をみせ、石油精製縫製、靴製造の各工業もある。交通の要地でもあり、モスクワウファオレンブルグへ向かう鉄道の分岐点で、ボルガ川には河港があり、空港もある。

 市は1586年に建設されたロシアの要塞(ようさい)に始まり、1615年にはノガイ・タタールの、1644年にはカルムイク人(オイラート)の攻撃を受けた。1688年に市となった。革命前は、穀物羊毛皮革などの取引の大中心地で、農産物加工業もみられた。1896年のシベリア鉄道開通、1906年の中央アジアへの鉄道が敷設されて以降、大いに発展した。また、独ソ戦中の1941年から43年まで、政府機関と諸外国の外交団がこの地に疎開していた。

 市はまた州都として、行政、教育・文化機能が発展している。サマラ総合大学をはじめ、医科、教育、工科、航空、電気、通信の諸大学、郷土博物館、美術館、ドラマ劇場、オペラ・バレエ劇場、人形劇場、サーカス場などの教育・文化施設がある。市の発展に伴い、近郊衛星都市、工業都市が建設され、サマラを中心に大都市圏が形成されている。

[中村泰三]

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改訂新版 世界大百科事典 「サマラ」の意味・わかりやすい解説

サマラ
Samara

ロシア連邦,ヨーロッパ・ロシアの南東部,同名州の州都。人口113万3418(2004)。地名は1688年以降サマラ,1935年にロシア革命および国内戦期にこの地で活躍した革命家V.V.クイビシェフを記念してクイビシェフと改称されたが,91年旧称復活。ボルガ川に臨み,交通・文化・経済の中心地で,機械工業・化学工業・食品工業などがさかん。大学・専門学校が10校,劇場・博物館など多数。1586年にカルムイク人,バシキール人,タタール人に対する防衛拠点として建設され,帝政時代はサマラ県の県都。革命後の国内戦時代には,憲法制定会議の反ボリシェビキ派による〈政府〉がおかれたことがあり,第2次世界大戦中には,多くの政府機関,外国の外交団などがモスクワからここへ疎開していた。工業の発展は第1次大戦のころからみられたが,とくに第2次大戦中の西部諸州の工場のこの地方への移転にともなって急速な発展をとげ,さらにボルガ水力発電所の建設によって拍車がかけられた。
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百科事典マイペディア 「サマラ」の意味・わかりやすい解説

サマラ

ロシア,ボルガ川左岸の都市。1935年までサマラと称され,その後クイビシェフに改称,1991年旧称に復した。各種機械(石油化学設備,工作機械,農業機械など),食品加工などの工業が行われる。付近にダム(人工湖は6450km2,貯水量580億m3)が建設され,大水力発電所(出力250万kW)がある。第2次大戦中は,多くの政府機関がモスクワから疎開した。116万人(2010)。

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