スレブレニツァの虐殺(読み)スレブレニツァのぎゃくさつ(その他表記)Srebrenica massacre

共同通信ニュース用語解説 「スレブレニツァの虐殺」の解説

スレブレニツァの虐殺

旧ユーゴスラビアの解体によりボスニア・ヘルツェゴビナで1992~95年に続いた3民族間の紛争末期に発生した、ボスニャク(イスラム教徒系)住民への虐殺セルビア人勢力が東部スレブレニツァを制圧した95年7月11日から主に17日までの間に、ボスニャクの戦闘員や10代の少年も含む男性避難民らを周辺各地で殺害し遺体を埋めた。スレブレニツァ記念館によると、犠牲者は約8300人。国際司法裁判所は2007年、事件集団殺害(ジェノサイド)だったと認定した。(スレブレニツァ共同)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スレブレニツァの虐殺」の意味・わかりやすい解説

スレブレニツァの虐殺
スレブレニツァのぎゃくさつ
Srebrenica massacre

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争さなかの 1995年7月,ボスニア・ヘルツェゴビナ東部の町スレブレニツァセルビア人勢力が 7000人以上のボスニア人(ムスリム)の男子を虐殺した事件。虐殺に加えて 2万人以上のボスニア人が追放された(→民族浄化)。第2次世界大戦後のヨーロッパで最悪の大量殺人であるこの事件を機に,欧米諸国は停戦を強く求め,ボスニアの領有権をめぐる 3年に及ぶ紛争は終結した。しかし虐殺は,生き延びた人々に深い心の傷を残し,長らくボスニアの民族間の政治的和解の障害となった。非人道的な軍事行為を調査するため事件前に設立された旧ユーゴスラビア国際戦争犯罪法廷 ICTYは,この虐殺がボスニア人の強制追放も含めてジェノサイド(集団殺害)にあたると結論づけ,主たる責任はセルビア人勢力の指揮官にあるとした。同時に国際連合と欧米加盟諸国は,1993年に国連安全保障理事会が「安全地帯」に指定したスレブレニツァの住民を虐殺と追放から守れなかった責任の一端みずからにもあることを認めた。セルビアは虐殺の法的責任を問われることはなかったが,2010年セルビア議会は虐殺を阻止できなかったことを謝罪する決議を僅差で採択した。

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