コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

スレブレニツァの虐殺 スレブレニツァのぎゃくさつSrebrenica massacre

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

スレブレニツァの虐殺
スレブレニツァのぎゃくさつ
Srebrenica massacre

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争さなかの 1995年7月,ボスニア・ヘルツェゴビナ東部の町スレブレニツァセルビア人勢力が 7000人以上のボスニア人(ムスリム)の男子を虐殺した事件。虐殺に加えて 2万人以上のボスニア人が追放された(→民族浄化)。第2次世界大戦後のヨーロッパで最悪の大量殺人であるこの事件を機に,欧米諸国は停戦を強く求め,ボスニアの領有権をめぐる 3年に及ぶ紛争は終結した。しかし虐殺は,生き延びた人々に深い心の傷を残し,長らくボスニアの民族間の政治的和解の障害となった。非人道的な軍事行為を調査するため事件前に設立された旧ユーゴスラビア国際戦争犯罪法廷 ICTYは,この虐殺がボスニア人の強制追放も含めてジェノサイド(集団殺害)にあたると結論づけ,主たる責任はセルビア人勢力の指揮官にあるとした。同時に国際連合と欧米加盟諸国は,1993年に国連の安全保障理事会が「安全地帯」に指定したスレブレニツァの住民を虐殺と追放から守れなかった責任の一端はみずからにもあることを認めた。セルビアは虐殺の法的責任を問われることはなかったが,2010年セルビア議会は虐殺を阻止できなかったことを謝罪する決議を僅差で採択した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

朝日新聞掲載「キーワード」の解説

スレブレニツァの虐殺

ボスニア紛争末期の95年7月11日、国連安保理が設けた「安全地域」のスレブレニツァをセルビア人勢力が総攻撃し、約1週間でモスレム人7千人以上を殺害した。第2次大戦後の欧州で最悪の虐殺となった。旧ユーゴ国際法廷から集団殺害(ジェノサイド)の罪で起訴された同勢力の元指導者カラジッチ、元軍司令官ムラジッチ両被告は逃亡中だ。

(2006-09-28 朝日新聞 朝刊 2外報)

出典 朝日新聞掲載「キーワード」朝日新聞掲載「キーワード」について 情報

スレブレニツァの虐殺の関連キーワードラトコ ムラディッチ

スレブレニツァの虐殺の関連情報