旺文社世界史事典 三訂版 「スロヴァキア」の解説
スロヴァキア
Slovakia
【古代〜近代】5世紀末〜6世紀に西スラヴ系のスロヴァク(スロヴァキア)人が定住。7世紀ドナウ河岸にスラヴ人の部族連合国家サモ王国がつくられた。9世紀にはチェック(チェコ)人と統一国家の大モラヴィア王国を形成して繁栄。しかし,10世紀初めにマジャール人の侵入で同国が崩壊すると,以後スロヴァキア地方は約1000年にわたりハンガリーの支配下に組み込まれた。
【20世紀の動向】第一次世界大戦終了直前の1918年10月末,チェコスロヴァキア共和国としてオーストリアから独立。しかし,遅れた農業地帯のスロヴァキアはチェコとの経済格差が大きかった。1938年チェコに対する自治要求が高まり,10月自治政府を設立。1939年3月独立を宣言するが,チェコがドイツに併合されると,スロヴァキアはドイツの強圧に屈して保護国化され,第二次世界大戦では枢軸側で参戦。1942年ごろから国内で抵抗組織がつくられ,45年4月ソ連軍の支援で首都ブラチスラヴァが解放された。同年5月,再びチェコスロヴァキア共和国を結成。1948年2月の社会主義クーデタ後,チェコスロヴァキア人民民主共和国と改称。人民民主主義型の社会主義が進められ,1960年チェコスロヴァキア社会主義共和国と改称。1968年の“プラハの春”の改革挫折後,69年から同国はチェコ共和国とスロヴァキア共和国からなる社会主義連邦共和国に移行。なお,改革派のドプチェクと鎮圧後に政権の座についたフサークは,ともにスロヴァキア人だった。1989年の民主革命が成功し,90年4月の憲法改正で国名も「チェコおよびスロヴァキア連邦共和国」と改称され,6月の自由選挙でチェコ共和国の「市民フォーラム」とスロヴァキアの姉妹党「暴力に反対する大衆」が圧勝。しかしその後,チェコとスロヴァキアの利害対立が表面化し,1993年1月,連邦制が消滅して,チェコ共和国とスロヴァキア共和国とに分離した。
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