フサーク(読み)ふさーく(その他表記)Gustav Husák

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フサーク」の意味・わかりやすい解説

フサーク
ふさーく
Gustav Husák
(1913―1991)

チェコスロバキアの政治家。ブラチスラバ近郊の生まれ。ブラチスラバ大学法学部卒業。1934年に共産党加入。1939年から対独抵抗運動に加わり、1944年のスロバキア蜂起(ほうき)を指導し、スロバキア国民評議会代表となる。戦後党中央委の各種委員を務めたが、1951年に逮捕され、1954年に「スロバキア民族主義者」として終身刑を宣告された。1960年に釈放、1963年名誉回復された。1968年4月に副首相、8月に党幹部会員となり、同月末スロバキア党第一書記に選出された。8月ソ連等の軍事介入後、1969年4月にドプチェクにかわって党第一書記に就任し、「正常化」を推進、1975年には大統領をも兼任した。

木戸 蓊]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フサーク」の意味・わかりやすい解説

フサーク
Husák, Gustav

[生]1913.1.10. ドゥーブラフカ
[没]1991.11.18.
チェコスロバキアの政治家。 1933年共産党に入党,37年コメニウス大学法学部を卒業。第2次世界大戦中はナチス・ドイツ占領下でスロバキア蜂起に参加,45年4月党中央委員。戦後スロバキア民族評議会副議長となったが,51年「民族主義者」として逮捕され,54年終身刑を宣告された。 60年釈放され,63年復党。チェコスロバキア科学アカデミー国家・法研究所研究員となった。 68年4月自由化を推進する改革の動きのなかでチェコスロバキア副首相に就任。同年8月自由化の阻止を目的とするソ連軍侵入ののち,スロバキア党第一書記,チェコスロバキア党幹部会員になり「正常化」に努力。 69年4月 A.ドプチェクに代ってチェコスロバキア党第一書記 (のちに書記長と改称) の地位につき,対ソ協力路線を推進,75年5月には L.スボボダに代って大統領の職務をも兼任。 80年5月大統領再選されたが,経済の不振,国内やソ連から改革を求める圧力が高まるなか,87年 12月書記長を辞任,89年 12月大統領を辞任。 90年党除名。

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百科事典マイペディア 「フサーク」の意味・わかりやすい解説

フサーク

チェコスロバキアの政治家。第2次大戦中のナチス占領下でスロバキア地下抵抗運動の指導者の一人。1945年チェコスロバキア共産党中央委員。1951年―1960年政治犯として入獄,1963年名誉回復。1969年,〈プラハの春〉を推進したドゥプチェクが失脚し,後任の党第一書記(1971年書記長と改称)に就き,〈正常化〉路線を掲げて改革派追放。1975年大統領を兼任。1987年書記長を辞任。1989年民主化運動の高揚のなかで大統領を辞任。1990年党除名。
→関連項目チェコ

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旺文社世界史事典 三訂版 「フサーク」の解説

フサーク
Gustav Husák

1913〜91
チェコスロヴァキアの政治家
1933年共産党に入党し,1951〜60年まで反国家活動に問われて投獄。1968年には副首相・スロヴァキア党第一書記となり,“プラハの春”でドプチェクが解任されてからは69年に党第一書記に就任。1975年からは大統領を兼任してソ連との関係を強化した。1989年,“ビロード革命”の中で辞任した。

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