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タンザニア=ウガンダ紛争 タンザニア=ウガンダふんそう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

タンザニア=ウガンダ紛争
タンザニア=ウガンダふんそう

1972年9月,タンザニア亡命中の A.M.オボテウガンダ大統領によって組織されたウガンダ人亡命者から成る人民軍が,I.アミン政権打倒を目指してウガンダに侵攻したことから生じたタンザニア,ウガンダ両国間の紛争。9月 17日オボテ派人民軍約 1000人は二手に分れ,ウガンダに侵攻し,ムバララのウガンダ軍駐屯地を占領。しかしウガンダ政府軍の反攻によって阻止され,同月 19日には占領地を放棄し,国境付近のムトウクル地区に撤退を余儀なくされた。侵攻開始当初ウガンダ側は,タンザニア軍がオボテ派ゲリラ,イギリス,イスラエルの傭兵とともに,アジア人追放を阻止するために攻撃をしかけてきたと発表。タンザニア側はこれを否定,事実タンザニア軍は戦闘に参加していなかったが,ウガンダはタンザニアに反攻し,同月 18~19日には国境から 32km入ったタンザニア領ブコバを,23日にはムワンザを空爆した。この間 20日には約 400名の技術者,軍需品を積んだリビア空軍の輸送機5機がウガンダ支援のために飛び,途中スーダン空軍によってハルツーム空港に強制着陸させられたものの,トリポリに引返すという条件を無視してウガンダへ到着する事件も起った。このリビアの行為は若干のアラブ諸国から支持されたものの,タンザニア,ザンビア,スーダンその他多数の諸国から強い批判を浴びせられた。しかし,紛争は事実上1週間で終息し,10月5日のモガディシオ協定調印によって解決をみた。

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