人や貨物の輸送をおもな用途とする飛行機。航空会社などで使われる民間輸送機(商用機ともいう)transportと,軍で使われる軍用輸送機carrierとがある。
民間輸送機は,主として旅客の輸送を目的とする旅客機と貨物の輸送を目的とする貨物機に大別されるが,大半は旅客機で,貨物機は旅客機として設計された機体の改造型が多い。旅客機にも一般に客室の床下に貨物室があり,乗客の手荷物のほかに貨物も積むが,貨物機は床上も貨物室とし,大型の貨物ドアをつけている。輸送機は安全性の次に経済性が重視される。民間機では乗客や貨物など有償で積むものをペイロードpayloadと呼ぶが,輸送機は大きさの割りにペイロードが多く積め,運航にもなるべく経費がかからぬようにくふうされている。外観では胴体が大きいことが共通した特色といえる。
飛行機による最初の定期旅客輸送は,1914年にアメリカでベノイスト14型飛行艇により行われたが,輸送機という機種が使われ始めたのは第1次世界大戦後の19年である。航空輸送需要の増大と技術の進歩でしだいに大型高速の輸送機が作られ,52年にはジェット輸送機が就航した。70年からは客室に通路が2本ある広胴型機(ワイドボディ機)がジャンボやエアバスと呼ばれて登場し,500席以上,貨物なら100tは積める大型機も飛んでいる。一方,輸送機は路線の交通量に合った大きさがよいので,コミューター輸送機と呼ばれる小型のものも多く使用されている。76年にはSSTが就航したが,それ以外のジェット輸送機の巡航速度は1950年代以来マッハ約0.8(時速約900km)にとどまっている。これはジェット輸送機は高度1万~1万2000mあたりをこの程度の速度で飛ぶのがもっとも燃料消費が少ないためである。輸送機の航続距離は,ペイロードを積み予備燃料を残して無着陸で飛べる距離で表すのがふつうで,大陸間国際線用の長距離輸送機では8000~1万1000kmに達する。国内線用の中短距離機はそれほど飛べる必要はなく3000~6000km程度である。
→飛行機
執筆者:久世 紳二
軍用輸送機は人員および物資を輸送することを目的としている。通常,戦略輸送機と戦術輸送機に大別され,前者は戦場の後方に大量の輸送を行う大型・長距離機で,C5A(アメリカ。搭載量100t),An22(ソ連。80t)などがある。後者は戦場に輸送を行う中・小型機で,短距離かつ不整地での離着陸の能力が重視される。C1(日本),トランザール(フランス,ドイツ),C130(アメリカ)などがある。初期の輸送機は旅客機を改造したものが多かったが,最近の専用の軍用輸送機は,地上での積卸しおよび空中での投下に便利なように,床面は低く,後部または前部と後部に大きな扉をもつ構造になっている。胴体内部には,搭載する対象に応じて,座席,患者用担架,貨物用のローラーおよびレールなどが取り付けられる。輸送の方法は,飛行場から飛行場への飛行がふつうであるが,不整地への強行着陸,落下傘部隊の降下,兵器,貨物に落下傘をつけて後部扉口から投下する空中投下,貨物に引出し傘のみをつけて超低空で落とす方法などが,状況により選択される。輸送機の輸送量は,船舶や列車に比べて小さく,輸送費も高価であるが,その高速性と,目的地に直行できる能力は,他の手段では得られない利点である。将来,戦略輸送機は,さらに大型化し,戦術輸送機は,短距離離着陸性能の向上を目ざすであろう。
軍用輸送機が本格的に使用され始めたのは,第2次世界大戦以降であり,種々の場面で活用されてきた。大量輸送としては,ベルリン空輸(1948)が有名である。これは,ソ連がベルリン市内のアメリカ・イギリス・フランス管理地区への陸上交通を封鎖したことに対抗して,C54などの延べ27万回の飛行により,食糧,石炭など生活必需品を輸送機のみで送り続けたものである。また第4次中東戦争(1973)では,開戦後イスラエル,アラブ側双方ともに兵器の損耗が激しく,その補充の速さが勝利の鍵となる様相となり,アメリカはイスラエルへ,ソ連はアラブ側へ,大量の戦車,航空機,弾薬などを輸送した。地上軍の進攻に先立ち,落下傘部隊を敵の拠点に降下させる空挺作戦は,第2次大戦中,ドイツを初め各国が実施した。味方の陸上部隊が包囲され孤立した場合でも,航空優勢を保持していれば,輸送機による増援により包囲を突破させるか,撤退させることが可能である。第2次大戦中,緒戦ドイツ軍はソ連領内で包囲された味方を空輸のみで維持し敵を撃退したものの,スターリングラードにおいては,すでに航空優勢を失っており,支援は失敗した。インパール作戦(1944)は山,川,ジャングルの地勢のインド・ビルマ(現ミャンマー)国境で行われ,地上からの補給は困難を極めた。ところが連合軍は空輸,空挺で増援,補給を行い,その手段をもたなかった日本軍は壊滅を余儀なくされた。そのほか成功の例としては,朝鮮戦争における北朝鮮内の連合軍およびベトナム戦争におけるケサンのアメリカ軍の撤退などがあげられる。
執筆者:鷹尾 洋保
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
人員や貨物の輸送を目的とした航空機。民間用の旅客輸送を主体としたものは一般に旅客機とよばれている。軍用の輸送機は、第一次世界大戦後に民間旅客機の発達に促されるような形で空軍のなかに定着した。すなわち、旅客機として開発された機体が軍でも輸送用に使われたわけで、この傾向は第二次世界大戦まで続いた。大戦で活躍した主要な輸送機は、ほとんどが本来民間機として開発されたものである。しかし、もとが旅客輸送を主にした設計では貨物の積み下ろしに問題があるため、やがて最初から貨物輸送を基本に考えた本格的な軍用輸送機が開発されるようになり、今日世界的にみられる形態が確立された。それは、主翼を高い位置に配し、降着装置を胴体に取り付け、貨物室の地上高を小さくするとともに、胴体後部に大きな扉口を設けるというものである。この形式により、積み下ろしの能率が向上しただけでなく、大型貨物の輸送や空中投下も可能になった。
現在輸送機の中心兵力は、本国から戦地まで大量の装備、補給品、人員などを空輸する戦略輸送機と、戦域内の輸送を行う戦術輸送機である。戦略輸送機は長距離輸送を主とするためジェット機が主になっているが、戦術輸送機のほうは飛行距離が比較的短く、また短距離の滑走で発着しうる能力が求められるため、まだプロペラ機(エンジンはターボプロップが主流)が多い。
このほかに連絡・軽輸送用の小型機(雑用機として分類されることもある)、医療設備を備えた患者輸送機、旅客機のような座席をもつ要人輸送機なども使われているが、これらは民間機を転用したものがほとんどである。また輸送機はその大きな搭載量と機内スペースを生かして、救難機、電子偵察機、空中指揮機、通信中継機、写真測量機、気象観測機、無人機発射母機などに改造されたりしており、攻撃機にした例もある。もっとも重要な派生型は空中給油機で、第二次世界大戦後に空中給油の技術が確立されると、軍用機の行動範囲は飛躍的に広がった。これは軍事航空史上でもっとも重要な変革の一つといえよう。
[藤田勝啓]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…この定期航空網はしだいに地球上のいろいろの地域に広がり,旅客需要も増加していった。しかし20年代から30年代初めにかけては航空技術の進歩が比較的低調で,輸送機としては客席数20以下,巡航速度200km/h程度のものが多く使われており,交通機関として鉄道や船と対抗できるまでにはなっていなかった。ところが30年代後半,アメリカのダグラスDC3(28席,300km/h)で代表される輸送機の近代化が実現し,さらに第2次世界大戦の厳しい試練を受けて,戦後の輸送機は性能,信頼性とも格段の進歩を遂げた。…
※「輸送機」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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