美術評論家。兵庫県生まれ。1953年(昭和28)京都大学理学部物理学科卒業。1955年同大学院理学研究科修士課程修了。大学、大学院在学中は湯川秀樹研究室で理論物理学を専攻。1955年に処女評論「創造のための批評」が第2回芸術評論募集(主宰美術出版社)で一席入選したのを機に美術評論に転じ、東京に拠点を移して評論活動を開始する。科学思想の素養をベースに、コンセプチュアル・アートを積極的に擁護しようとした批評は若くして大きな影響力を持つようになり、同世代の針生(はりう)一郎、東野芳明(とうのよしあき)と並び、1950~1960年代の日本の美術ジャーナリズムの牽引役として活躍した。
著書には『現代彫刻』(1965)、『人間と物質のあいだ』(1972)、『大発明物語』(1975)、『現代芸術入門』(1979)、『ブランクーシ』(1986)などがあり、ほかに翻訳書はカルビン・トムキンズCalvin Tomkins(1925― )『花嫁と独身者たち』The Bride and the Bachelors(共訳。1972)、ローズリー・ゴールドバーグRoselee Goldberg『パフォーマンス』Performance; Live Art 1909 to the Present(1982)など多くを刊行、入門書から本格的な作家研究まで手広く手がけ、関心は現代美術の全領域に及ぶ。また前衛映像誌『季刊フィルム』(1968~1972、通巻13号)や総合芸術誌『芸術倶楽部』(1973~1974、通巻9号)の共同発行を行うなど、新しい発言の場の開拓にも取り組んだ。
展覧会企画も多数手がけており、なかでも1970年の東京ビエンナーレ(通称「人間と物質」展)は、日本の「もの派」をいち早くミニマリズムの世界的趨勢のなかに位置付けた先見的企画として高く評価された。1973、1975年にはサン・パウロ・ビエンナーレで、1976、1978年にはベネチア・ビエンナーレで日本コミッショナーに選出されたほか、1988年のソウル・オリンピック開催時には美術展国際委員を務めている。1990年(平成2)には、開館したばかりの水戸芸術館の美術総監督に迎えられるが、翌年には辞任した。
その後もヨーロッパを地盤とする既存の美術評論への懐疑を示しつつ、メキシコの前衛美術を跡付けた『1930年代のメキシコ』(1994)や、人が絵を描く行為を先史時代の洞窟壁画までさかのぼって分析した『ヒトはなぜ絵を描くのか』(編著。2001)を出版したり、シンポジウムやレクチャー等の活動も精力的に行った。2003年には河口龍夫を論じた『関係と無関係』を刊行。2002年春まで京都精華大学教授、その後同名誉教授。
[暮沢剛巳]
『『人間と物質のあいだ――現代美術の状況』(1972・田畑書店)』▽『『大発明物語』(1975・美術出版社)』▽『『現代芸術入門』(1979・美術出版社)』▽『『ブランクーシ――Endless Beginning』(1986・美術出版社)』▽『『現代彫刻』(1987・美術出版社)』▽『『1930年代のメキシコ』(1994・メタローグ)』▽『『関係と無関係――河口龍夫論』(2003・現代企画室)』▽『中原佑介編著『ヒトはなぜ絵を描くのか』(2001・フィルムアート社)』▽『カルヴィン・トムキンズ著、中原佑介・高取利尚訳『花嫁と独身者たち――現代芸術五人の巨匠』(1972・美術出版社)』▽『ローズリー・ゴールドバーグ著、中原佑介訳『パフォーマンス――未来派から現在まで』(1982・リブロポート)』
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