ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
ダウラターバード
Daulatābād
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…彼の時代のデリーや,インドの他の情勢については,大旅行家のイブン・バットゥータがその旅行記で詳しく記している。ムハンマドはデカン,南インド経営のため,現在の西デカンのアウランガーバード付近に,ダウラターバードDaulatābād(〈富の町〉の意)の大城塞を築いたことでも知られている。 トゥグルク朝が弱体化した時,1398年,ティムールの軍がデリーにまで侵入し,北インドは政治的混乱に陥った。…
…彼は帝国支配のためさまざまな改革を行い,とくにデカン,半島南端支配のため,デカンのデーバギリDevagiriの地に,新都城を建築した。このダウラターバードDaulatābād(〈富の町〉の意)に,デリーから住民を強制的に移住させたといわれるが,彼の目的は,新首都建設とデリーの放棄というよりも,デリーとは別の第二の首都をつくることにあったともいわれている。14世紀半ばに,デリー・サルタナットは,短期間ながらも大帝国にふさわしい体制を整えるにいたった。…
…彼の時代のデリーや,インドの他の情勢については,大旅行家のイブン・バットゥータがその旅行記で詳しく記している。ムハンマドはデカン,南インド経営のため,現在の西デカンのアウランガーバード付近に,ダウラターバードDaulatābād(〈富の町〉の意)の大城塞を築いたことでも知られている。 トゥグルク朝が弱体化した時,1398年,ティムールの軍がデリーにまで侵入し,北インドは政治的混乱に陥った。…
…彼は帝国支配のためさまざまな改革を行い,とくにデカン,半島南端支配のため,デカンのデーバギリDevagiriの地に,新都城を建築した。このダウラターバードDaulatābād(〈富の町〉の意)に,デリーから住民を強制的に移住させたといわれるが,彼の目的は,新首都建設とデリーの放棄というよりも,デリーとは別の第二の首都をつくることにあったともいわれている。14世紀半ばに,デリー・サルタナットは,短期間ながらも大帝国にふさわしい体制を整えるにいたった。…
※「ダウラターバード」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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