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ダウラターバード ダウラターバードDaulatābād

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ダウラターバード
ダウラターバード
Daulatābād

インド,デカン高原北西部にある城塞。古くはデオギリ (デーバギリ) と呼ばれ,ヤーダバ朝 (1187~1312) の首都であった。ヤーダバ朝はビッラマ5世が後期チャールキヤ朝から独立して建設した王朝である。

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デジタル大辞泉の解説

ダウラターバード(Daulatabad)

インド西部、マハラシュトラ州にある旧都。アウランガーバードの北西13キロメートル、高さ約180メートルの岩山の上に築かれた城塞都市であり、12世紀末から13世紀初頭にかけて、後期チャールキヤ朝から独立したヤーダバ朝の都が置かれた。堅固な城門や15世紀建造の高さ60メートルの戦勝記念塔が残っている。

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世界大百科事典 第2版の解説

ダウラターバード【Daulatābād】

インド中西部,マハーラーシュトラ州中央部アウランガーバード西北西約13kmの旧都。いまは小村であるが,比高180mの急峻な孤立岩丘があり,デカン高原上の交通路の結節点を扼する戦略的要衝を占める。12世紀末にデカン高原西部に覇を唱えたヤーダバ朝の首都となり,デーバギリDevagiriデーオギリDeogiriとよばれた。1327年にはトゥグルク朝ムハンマド・ビン・トゥグルク王が,デカン高原征服の意図のもとにデリーからここに遷都し,〈富の都〉を意味する現名に改名した。

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世界大百科事典内のダウラターバードの言及

【デリー・サルタナット】より

…彼の時代のデリーや,インドの他の情勢については,大旅行家のイブン・バットゥータがその旅行記で詳しく記している。ムハンマドはデカン,南インド経営のため,現在の西デカンのアウランガーバード付近に,ダウラターバードDaulatābād(〈富の町〉の意)の大城塞を築いたことでも知られている。 トゥグルク朝が弱体化した時,1398年,ティムールの軍がデリーにまで侵入し,北インドは政治的混乱に陥った。…

【トゥグルク朝】より

…彼は帝国支配のためさまざまな改革を行い,とくにデカン,半島南端支配のため,デカンのデーバギリDevagiriの地に,新都城を建築した。このダウラターバードDaulatābād(〈富の町〉の意)に,デリーから住民を強制的に移住させたといわれるが,彼の目的は,新首都建設とデリーの放棄というよりも,デリーとは別の第二の首都をつくることにあったともいわれている。14世紀半ばに,デリー・サルタナットは,短期間ながらも大帝国にふさわしい体制を整えるにいたった。…

【デリー・サルタナット】より

…彼の時代のデリーや,インドの他の情勢については,大旅行家のイブン・バットゥータがその旅行記で詳しく記している。ムハンマドはデカン,南インド経営のため,現在の西デカンのアウランガーバード付近に,ダウラターバードDaulatābād(〈富の町〉の意)の大城塞を築いたことでも知られている。 トゥグルク朝が弱体化した時,1398年,ティムールの軍がデリーにまで侵入し,北インドは政治的混乱に陥った。…

【トゥグルク朝】より

…彼は帝国支配のためさまざまな改革を行い,とくにデカン,半島南端支配のため,デカンのデーバギリDevagiriの地に,新都城を建築した。このダウラターバードDaulatābād(〈富の町〉の意)に,デリーから住民を強制的に移住させたといわれるが,彼の目的は,新首都建設とデリーの放棄というよりも,デリーとは別の第二の首都をつくることにあったともいわれている。14世紀半ばに,デリー・サルタナットは,短期間ながらも大帝国にふさわしい体制を整えるにいたった。…

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