ティエリー
Augustin Thierry
生没年:1795-1856
        
              
                        フランスの歴史家。エコール・ノルマル・シュペリウール出身。サン・シモンの秘書をつとめたのち,自由主義派の新聞で論陣を張ったが,やがて歴史叙述に専念した。物語の才に優れ,力強い情熱にあふれた筆致により多くの読者を得た。ミシュレと並び,フランス・ロマン派の歴史家を代表する存在である。民族の役割を重視し,征服者に対する被征服者の抵抗に歴史の動因を見いだした。《ノルマンによるイングランド征服史》(1825)や《メロビング王朝時代史》(1840)には,このような歴史観がよくあらわれている。七月革命を歓喜をもって迎えたが,翌1831年失明。以後は口述によらざるをえなくなり,さらに晩年には中風のため身動きもままならぬ身となったが,なおギゾーの依頼の下に,第三身分に関する大部の史料集を刊行し,《第三身分発展史試論》(1853)を著すなど,探究の精神と歴史への情熱は衰えを知らなかった。
執筆者:二宮 宏之
 
                                                          
     
    
        
    出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
	
    
  
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                    ティエリー
Thierry, (Jacques-Nicolas-)Augustin
        
              
                        [生]1795.5.10. ブロア
[没]1856.5.22. パリ
フランスの歴史家。エコール・ノルマル・シュペリュール (高等師範学校) を卒業後,サン=シモンの秘書。その後リベラル派の新聞記者となった。 A.シャトーブリアンの『殉教者』を読んで歴史家としての使命に目ざめ,1826年盲目となったが歴史研究に専念した。彼は歴史における民族間の対立という観点の重要性を強調し,『ノルマン人によるイギリス征服史』 Histoire de la conquête de l'Angleterre par les Normands (1825) ,『メロビング王朝時代物語』 Récits des temps mérovingiens (40) を著わした。その他の著書として『第三身分の考察』 Essai sur le Tiers État (53) がある。
                                                          
     
            
		
                      
                    ティエリー[シャルトル]
Thierry de Chartres
              
                        [生]?
[没]1150頃
シャルトル学派のフランスの哲学者,神学者。ラテン名 Theodoricus Brito。シャルトルのベルナルドゥスの弟。パリで教え,1142年からシャルトルの学院の総長。『自由七科教程』 Heptateuchonは人文学の古典的著作を集大成した教材。『天地創造の6日間』 De sex dierum operibusでは人文学が神学の基礎に用いられている。
                                                          
     
    
        
    出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
	
    
  
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