ミシュレ(読み)みしゅれ(英語表記)Jules Michelet

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミシュレ」の意味・わかりやすい解説

ミシュレ
みしゅれ
Jules Michelet
(1798―1874)

フランスの歴史家パリの貧しい印刷業者の子に生まれる。幼いときから家業を手伝いつつ勉学、1820年にパリ大学を卒業。26年から高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)の歴史・哲学教授となった。王政復古期の反動的な時勢に抗してギゾークーザンたちの自由主義に共鳴し、とくにクーザンの哲学から体系的な歴史理解を学んだが、やがてその機会主義に反発を覚えるようになり、内心と外界とを調和させる歴史把握を目ざして苦心した。30年の7月革命ののち、ビコの影響のもと、時代に適合し、時代を代表し、時代を指導する人物を中心とする独自のロマン主義的歴史哲学を形成することに成功した。処女作『世界史への序説』を30年に公にして、31年の『ローマ共和政史』に続いて、33年から一生の大著、主著となる『フランス史』(全17巻、1833~67)の筆をとり始めた。その華麗な文体、絵画的な描写、とりわけ人物の活写により多くの熱狂的な読者を獲得した。38年からはコレージュ・ド・フランスの教授となったが、フランス革命の精神的遺産と当時の市民社会との矛盾に悩み、政治・社会問題にも筆をとった(『僧、婦人、家族』1844、『民衆』1846など)。とりわけ、人民への愛に満ちた『フランス革命史』(全七巻、1847~53)は、48年の二月革命の時代的背景をなすもので、時代と人民と革命政治家との相互関係を描き尽くすことによって、単なる歴史研究の域を超えて、19世紀フランス文学史中の最高の歴史文学とたたえられる。しかし、革命の行きすぎにも疑念をもつうちに第二帝政の成立にあってこれに反抗し、職を追われた。以後、彼は歴史書のみでなく、散文詩的な自然・動物の描写にも筆を伸ばし(『鳥』1856、『愛』1858、『女性』1859)、またパリ・コミューンにも共鳴し、19世紀フランスの国民にもっとも愛された歴史家として生を終えた。

[樋口謹一]

『桑原武夫他訳『フランス革命史』(『世界の名著37』所収・1968・中央公論社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミシュレ」の意味・わかりやすい解説

ミシュレ
Michelet, Jules

[生]1798.8.21. パリ
[没]1874.2.9. バール,イエール
フランスの歴史家。ロマン派の史家のうちで最大の存在。革命後の動乱のなかに育ち,父の印刷所を助けつつ苦学。 21歳で文学博士となり,1827年エコール・ノルマル・シュペリュール (高等師範学校) 教授,1831年国立古文書館歴史部長,1834年パリ大学教授,1838年コレージュ・ド・フランス教授に就任した。『フランス史』 Histoire de France (17巻,1833~67) ,『フランス革命史』 Histoire de la Révolution française (7巻,1847~53) ,『19世紀史』 Histoire du XIXe siècle (3巻,1872~74) ,『魔女』 La Sorcière (1862) などの膨大な歴史書のほか,晩年には抒情的な自然観察のエッセー『鳥』L'Oiseau (1856) ,『昆虫』L'Insecte (1857) などを書いた。歴史における地理的環境の影響を重視し,常に民衆の立場に身をおいて時の反動勢力に抗した。彼の残した膨大な『日記』 Journal (1828~74執筆) が,1959年より出版されはじめている。

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