西ヨーロッパの封建時代,絶対主義時代には,聖職者,貴族に次いで第3番目の身分という意味で聖職者,貴族以外の者がしばしば第三身分あるいは平民と呼ばれた。そして,この3身分はおのおの天与の職分を帯び,相互に調和的に結合して社会を形成していると考えられた。聖職者は人々のために〈祈る者oratores〉である。貴族は人々のために剣を執って〈戦う者bellatores〉で,法を維持し,裁きをも行い,いかなる支配にも従属しない自由の保持者である。貴族を貴族たらしめるのは,窮極には王の血をひくとされるその高貴な生れであるから,家門が重視される。これらに対して,第三身分は,人間の生活に必要なもろもろの物質を作り出し,供給する〈働く者laboratores〉で,人間の原罪の結果でもある苦しくけがれた労働に従事する点,また一口に働く者といっても大小さまざまだが,すべて支配に服する下賤な隷属民であるという点で聖職者や貴族と区別される。このような理論は,文字で確認しうる形では,まず9世紀のイングランドで,ウェセックス王アルフレッドの手になるボエティウスの《哲学の慰め》への注解の中に初めて現れ,大陸では11世紀の初め,ランの司教アダルベロンの《ロベール王にささげる歌》およびカンブレーの司教ジェラールの説教(《カンブレー司教伝》所収)などに初めて現れる。大陸での11世紀は,神の平和運動,コミューン運動,異端などの形で民衆によって身分的秩序が揺り動かされた時期であった。この理論は,こういった民衆運動に危機感を抱いた支配層によって,支配秩序を強化するためのイデオロギーとして打ち出されて,用いられたものである。なお,この理論の基礎には,人間社会を祭司,戦士,食糧を生産する庶民の3職分によって構成されるとするインド・ヨーロッパ語系の諸民族に広くみられる観念があることが,比較神話学のデュメジル学派によって指摘されている。
3身分論は,また,政治制度を形成する原理としても使われた。たとえば,フランスの身分制議会は3身分の代表よりなる三部会として形成された。封建時代および絶対主義時代を通じて,第三身分はいわば〈負〉のイメージでとらえられていたが,フランス革命期にはこれが逆転する。シエイエスはその著《第三身分とは何か》の中で〈それはすべてである〉と主張した。その理由は,国民の存続・繁栄に必要な,農耕・工業・商業・自由業などの〈個人的労働〉のすべてを,また剣・法服・教会・政治(行政)からなる〈公職〉の20のうち19までを第三身分が担っているのに対し,特権身分はどの分野でも名利を追求するだけの寄生的で無用な者たちで,国家の実質的担い手は第三身分だから,というのである。この第三身分優位論は革命期には都市・農村の民衆も包摂して革命を支える支配的イデオロギーとなったが,やがて第三身分の上層は民衆から自分たちを区別し始め,民衆に対して第四身分という言葉が用いられた。
→フランス革命
執筆者:高橋 清徳
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僧侶(そうりょ)と貴族身分に属さない平民身分をさす。前二者は種々の身分的特権と栄誉を享受するが、第三身分は固有の身分特権をもたない。中世キリスト教世界では、祈るものoratores=僧侶、戦うものbellatores=貴族、働くものlaboratores=平民の身分的区分があった。働くものである第三身分は、裁判および財務官僚や、都市市政官から各種商人・職人に至る、いくつもの社会的・職域的階層、団体を含んでいる。政治的には、第三身分代議員が全国的ないし地方的な身分制議会に参席した。
フランスでは、14世紀の全国三部会における第三身分は、特権都市の市政官や法曹家、大商人であり、1614年の場合、官僚特権をもつ法官が大多数を占めた。彼らは第三身分のうちでも勢力と資産をもつものであった。フランス革命時、1789年の全国三部会では、法曹家と商人、工業資本家など、資産家としてのブルジョアが第三身分を独占、革命推進の主体となり、ついに身分制を解体させた。
[千葉治男]
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封建制下のフランスでは,聖職者が第一身分,貴族が第二身分,平民が第三身分とされ,身分制議会である三部会を構成した。人口の9割以上を占める非特権層の第三身分は,内部で貧富の差が大きく,農民,上層市民,下層民衆など多様で,階級的利害は分裂していた。だがフランス革命前夜には,第三身分は特権身分に対抗する平民結集のスローガンとして機能した。
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…これらの社団を大きく包み込むものとして,中世以来の伝統的な身分制秩序が受け継がれていた。第一身分としての聖職者clergé,第二身分としての貴族noblesse,そしてブルジョアジー以下の第三身分le tiers étatがそれである。革命前夜の総人口2600万のうち,聖職者は約12万,貴族は約35万にすぎないが,彼らは,王税を免除された特権階層を形成していた。…
…これらの社団を大きく包み込むものとして,中世以来の伝統的な身分制秩序が受け継がれていた。第一身分としての聖職者clergé,第二身分としての貴族noblesse,そしてブルジョアジー以下の第三身分le tiers étatがそれである。革命前夜の総人口2600万のうち,聖職者は約12万,貴族は約35万にすぎないが,彼らは,王税を免除された特権階層を形成していた。…
…当時のフランスの身分制社会を大胆に批判して大きな反響を呼び,革命に向けての世論の形成に重要な役割を果たした。革命前のフランスでは,第一身分(聖職者)と第二身分(貴族)とが免税などの特権を与えられ,国民の大多数を占める第三身分(平民)は,租税負担のすべてを負わされていながら政治的発言権がほとんどなかった。18世紀後半になると,こうした身分制に基づく旧体制の矛盾が深刻化し,とくに,窮迫した国家財政を救うためにはなんらかの改革が必要になり,1788年には,翌年に全国三部会を開くことが決定された。…
…ミドルクラスmiddle classの訳語であり,学術的正確さに欠けるうらみはあるが,中間階級,中間層といった用語と互換的に使われることがある。古くは18世紀フランスにおいて支配階級であった貴族,僧侶に対する〈第三身分〉として,新興の都市商工業者を指すのに用いられた。これら商工自営業主層および自営農民は今日旧中産階級と呼ばれる。…
…絶対王政のもとでは,政治権力は国王とその官僚機構に集中され,国家を構成する市民(公民)の基本的人権や参政権は確立されていなかった。また,身分制としては,聖職者,貴族,平民(第三身分)の3者の区別が基本的であり,前2者は免税特権をはじめとする各種の特権を与えられていたが,聖職者の上層部はほとんど貴族の出身であったから,実際には貴族と平民との差別が最も重要であった。これら3身分の内部はさらにいくつもの階層に区分され,地方ごとの特権も存続していたから,国民的統一は実現されていなかった(身分制社会)。…
…戦士としての騎士身分と農民身分の明確な分離,市民身分の出現などは,その顕著な表れである。ヨーロッパの中世都市は,古代のポリスやキウィタスとは異なり,農村地域とはっきり区別された特別の法領域であったから,聖職者や貴族など封建領主たる上位の諸身分に対しては,市民が農民とともに〈平民〉身分(フランスの〈第三身分〉)とみなされることもありえたが,法制上,市民は明らかに農民と別個の身分であった。ただ,イギリスにおいては,かなり早くから下級貴族たる騎士身分が,軍役代納金制の普及や傭兵使用の開始により,戦士の機能を失って地主化の道を歩んだため,ジェントリーという独特な名望家階層が形成された。…
※「第三身分」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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