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テクルール王国 テクルールおうこくTukulor empire

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

テクルール王国
テクルールおうこく
Tukulor empire

19世紀に西アフリカのセネガル東部からマリトンブクトゥにかけて栄えたイスラム教神政国家。建国の祖はトゥクロール族のエル・ハジ・オマル(1795頃~1864頃)。厳格なティジャニヤ教団の聖職者だったオマルは,1848年頃に信奉者とともにフータジャロン山地と境を接するディンギライエ(→ギニア)へ移住。厳しい道徳規範にのっとった新しい国家の建設を目指し,宗教・軍事・商業の各面を総合した精鋭部隊の育成に着手する。1850年頃,ヨーロッパ製銃器を装備した部隊の態勢が整うと,周辺諸国へのジハード(聖戦)を開始。初めに北方のバンバラ族と戦い,2年後にはセネガル川上流を渡ってさらに北へ移動しバンバラ族のカールタ王国を征服した。セネガル川を西方にくだる途中でフランス軍に阻止されると,1861年バンバラ族のセグー王国を短期間で制圧し,続いてマシーナも征服した。その後,北はトンブクトゥにまで領土を拡大した。王国の領土は,東方のフルベ族(フラニ族)のソコト王国に匹敵するまでに拡大したが,その基盤は脆弱だった。バンバラ族やフルベ族らのたび重なる反乱によって王国の基盤がゆらぐなか,1864年にオマルが死去し,息子のアマドゥ・セクが跡を継いだものの,内部紛争や権力争いはやまなかった。1880年代になると,アマドゥは王国内の秩序を回復するため精鋭部隊を解散し,被支配民からの忠誠を得ようとした。だがこの政策は失敗に終わり,忠誠を得られなかったばかりか,特権的な地位を失うことを恐れたトゥクロール族までが離反する結果となった。この機に乗じてフランスはテクルール王国領内に要塞を築き,周辺諸国と友好条約を結んだ。1890年以後,フランス軍が王国に攻め込んでセグーやマシーナ,トンブクトゥを次々に征服。1893年アマドゥは降伏し,王国はフランス領植民地に組み込まれた。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

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