ディーキン(英語表記)Alfred Deakin

改訂新版 世界大百科事典 「ディーキン」の意味・わかりやすい解説

ディーキン
Alfred Deakin
生没年:1856-1919

オーストラリアの政治家,自由党のリーダー。連邦首相を3期(1903-04,05-08,09-10)つとめた。連邦形成の理念と実践の両面で指導者となり,第1回植民地会議(ロンドン。1887)からオーストラリア連邦評議会(1899)に至る一連の連邦発足準備会議に非閣僚として出席,さらに連邦形成のための論陣をはり,第1次大戦まで続く国の政策の基礎を築いた。自由党が議会で過半数議席を獲得できなかったため,2度目までの政権は彼のリベラルさに共感する労働党との連立内閣であった。のちに労働党が彼の進歩的政策をとり入れて政権を獲得した点にも,彼が国民精神の祖型をつくった人物であることがうかがえる。若いころは灌漑事業推進や工場法制定にもかかわった。ビクトリア州北西部のミルデューラ灌漑地域は,オーストラリア最初の大規模事業として彼が開いたものである。著書に《連邦物語》(1944)がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ディーキン」の意味・わかりやすい解説

ディーキン
Deakin, Alfred

[生]1856.8.3. メルボルン
[没]1919.10.7. メルボルン
オーストラリアの政治家。法律家として出発,1880年ビクトリア植民地議会議員に選出され,83年から要職歴任。 1900年ロンドンにおもむき,イギリス本国政府とオーストラリア連邦憲法草案について協議。帰国後ビクトリア各地でオーストラリア各植民地の連邦化促進を訴えた。連邦政府首相を3度 (1903~04,05~08,09~10) つとめ,社会立法拡充保護関税の実施に尽力。 08年には年金法と一般関税法を議会に通過させたが,連邦高等法院から一般関税法の無効の判決が下った。そのため労働党の協力が得られず,自由貿易を信奉する保守勢力に合流したが,10年の選挙で労働党に敗北。 12年健康を害して政界から引退

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百科事典マイペディア 「ディーキン」の意味・わかりやすい解説

ディーキン

英国の労働運動指導者。運輸一般労働組合書記長,TUC議長,世界労連会長を歴任。1949年米国のマーシャル・プランを支持して国際自由労連創設,副会長となった。

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