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デニスン Denison,HenryWillard

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朝日日本歴史人物事典の解説

デニスン

没年:大正3.7.3(1914)
生年:1846.5.11
著名な外務省お雇い外国人。「デニソン」とも。明治13(1880)年より没するまでの34年間外務省法律顧問として在職した。米国バーモント州ギルドホール生まれ。明治2(1869)年,神奈川米国領事裁判所付判事に任命され,副総領事に昇任ののち,9年7月より数回にわたり,米国船ペイホ号抑留による対米賠償事件の米国側仲裁人を担当した。11年9月退官,横浜で在留外国人向けの弁護士を開業。13年5月,ビンガム米国公使の推薦で外務省万国公法副顧問シェパードの後任に採用された。条約改正交渉では,井上馨外務卿の命で17年5月より約1年,米国当局を遊説するとともに米国の治外法権執行法案等に関し報告した。 21年2月就任の大隈重信外相は,彼に最恵国条款の歴史を詳しく調査させ,また前年彼が起草した草案により陸奥宗光駐米公使が折衝した結果,21年11月,明治政府最初の相互対等の日本・メキシコ修好通商条約が締結された。上海での朝鮮独立党首金玉均 の暗殺(1894)の際も,彼は陸奥外相の命で詳細な意見書を提出した。日清講和では,28年4月11日付の伊藤全権より李鴻章清国首席全権宛の日本側の最終提案の起草に参画した。ポーツマスの日露講和会議には小村寿太郎外相に随行したが,38年8月29日の会議で小村全権はデニスン講和条約起草の事務を委任する旨述べた。万国平和会議の結果発布された国際紛争平和的処理条約第23条により,34年2月,デニスンは国際仲裁裁判所裁判官に任命された。東京築地の聖路加国際病院で死去。同日,旭日桐花大綬章が贈られた。墓地は東京港区の青山霊園の小村寿太郎の墓地の近くである。<参考文献>今井庄次『お雇い外国人12 外交』,外務省百年史編纂委員会編『外務省の百年』下,幣原喜重郎『外交五十年』,井上侯伝記編纂会編『世外井上公伝』3~4巻

(河村一夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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