フランスの画家。6月3日、ル・アーブルの音楽を愛好する家庭に生まれる。音楽はのちに彼の絵の重要な主題となる。14歳からコーヒー輸入商の下で働き家計を助けるが、かたわら同市美術学校の夜間コースに学ぶ。1900年、市の奨学金を得てパリに出、エコール・デ・ボザール(国立美術学校)のレオン・ボナのアトリエに入る。初めマネ、モネ、ピサロなど印象派の影響を受け、またロートレックの鋭い線にも関心を示した。05年、アンデパンダン展に展示されたマチスの『豪奢(ごうしゃ)・静寂・逸楽』との出会いは、デュフィに決定的な影響を与えた。彼は色彩のもつ表現力に目覚め、フォーブの一員となる。その後、07年のセザンヌ回顧展や、翌年のレスタックでのブラックとの制作を機に、作品には構成的傾向が現れるようになったが、09年ごろから、優美さとユーモアを備えた明るい装飾的画風に転じていく。本の挿絵を手がけてからは装飾美術にも関心を抱き、11年には服飾デザイナー、ポール・ポワレの助力を得て織物のデザインを始めるなど、この分野にも積極的に手を染めた。20年にはコクトーの台本、ミヨーの音楽によるバレエ『屋根の上の牡牛(おうし)』の舞台装置を担当している。
このように装飾家としても大きな貢献をする一方、1919年の大作『バンス』とともに彼の絵は成熟した独自のスタイルを確立するに至る。純粋な色彩の広がりの上に生き生きとした線描が重ねられ、機知に富んだ楽しげな雰囲気が醸し出される。選ばれる主題も競馬やヨットレースなど快活なものが多く、動きのある諸要素が静穏な空間と対比される。また、音楽に対する深い愛好は「オーケストラ」シリーズなど、音楽を題材とした数多くの作品を生んだ。37年のパリ万国博覧会に際しては、電気館のために大壁画を制作。晩年には一種の厳しさを獲得し、本来の陽気さが新たな強さと調和を保つようにもなった。死の前年の52年、ベネチア・ビエンナーレで国際大賞を受賞。また、生涯を通じて水彩画・版画にも積極的に取り組み、簡潔さと生気とユーモアを備えた多くの作品を残している。53年3月23日南仏フォルカルキエで没。
[大森達次]
『A・ヴェルナー著、小倉忠夫訳『デュフィ』(1972・美術出版社)』
フランスのフォービスムの画家。ル・アーブルに生まれ,同地の美術学校の夜間講座で絵画を学び,1900年市の奨学金を得てパリに赴く。05年サロン・ドートンヌにマティスが出品した《豪奢,静寂,逸楽》に感銘を受け,従来の印象主義的手法を捨て,フォービスムに加わる。08年ころよりセザンヌ,キュビスムから刺激を受け,その影響下に画面の構築を試みる。生活の困難のためアポリネールの著作などに木版挿絵を描き,他方では衣装デザイナー,ポアレのために服地の模様のデザインなどに携わる。19年ころから再びすばやいデッサンと緊密な色調にみたされたリズミカルな画面へと向かい,独自の様式を確立し,競馬場,海浜,さらに音楽会などの主題をもっぱら扱う。とくに27年ころから,線描と色斑とを故意にずらすことによって画面に速度感とリズムを生む。37年万博の電気館のための大作パネル《電気の精》など,装飾的な仕事も多い。
執筆者:中山 公男
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