日本大百科全書(ニッポニカ) 「トラスタマラ朝」の意味・わかりやすい解説
トラスタマラ朝
とらすたまらちょう
Casa de Trastámara
中世後期イベリア半島の王朝の一つ。カスティーリャでは創始者エンリケ2世からイサベル1世まで(1369~1504)の計6人、アラゴン連合王国ではフェルナンド1世からフェルナンド2世まで(1412~1516)の計4人の王がこの王朝に属する。トラスタマラの名は、前述エンリケ2世の即位以前の所領トラスタマラ伯領に由来する。トラスタマラ歴代の王は、西ヨーロッパ諸国に共通する中世末期の政治と社会の混乱を王権の強化によって収拾克服しようと努めたため、カスティーリャでもアラゴン連合王国でも、封建勢力および自治の伝統に固執する有力都市の激しい抵抗に遭遇した。しばしば内戦にまで発展したこの事態がようやく王権の目ざす形で収拾をみたのは、後にカトリック両王の名で知られる前述フェルナンド2世とイサベル1世の共同統治発足(1479)後であった。
今日のスペイン形成への第一歩は両王の結婚(1469)だったが、2人を結び付けた背景には、両者がともに同一の王朝の出身であったことも一因だった。この意味でトラスタマラ朝は近代スペイン成立の一要素とみなせる。しかし、両王の唯一の王子が早世したために、トラスタマラ朝はフェルナンド2世を最後に断絶した。
[小林一宏]