改訂新版 世界大百科事典 「ドイツ教会闘争」の意味・わかりやすい解説
ドイツ教会闘争 (ドイツきょうかいとうそう)
ドイツのプロテスタント教会が1933年から45年に至るまで,ヒトラー政権による教会の組織・教義への干渉に抗して行った闘争をいう。それは部分的には,ナチスの非人間的政策そのものに対する批判にまで発展した。33年首相に就任したヒトラーは,最初は教会に対して宥和的な態度を示していたが,まもなくナチズムに迎合する〈ドイツ・キリスト者〉を介して,教会への干渉を始めた。すなわち従来の領邦教会を一元化して帝国教会を作り,帝国監督をその上に据えることを企て,さらにユダヤ人排除政策である〈アーリア条項〉を教会関係立法に導入しようとした。ニーメラーらは,それを教会秩序の破壊であると抗議し,〈牧師緊急同盟〉を組織し,多くの参加者を得て運動を開始した。すなわち各領邦教会内で勢力をもつドイツ・キリスト者に抗して告白会議が組織され,さらに34年5月にバルメンで第1回告白教会全国会議が開かれ,有名な〈ドイツ福音主義教会の現状に対する神学的宣言(バルメン宣言)〉が採択された。しかし情勢の深刻化にともない,告白教会内部における非妥協的な全国常任議員会と保守的な領邦教会の人々の対立がしだいに深まっていった。一方,政府は告白教会に対しての強圧の度を強め,35年に教会省を設けて,教会問題に直接介入してきた。そのようななかにあって,告白教会は当時のドイツにおけるほとんど唯一の抵抗の拠点として,良心の声をあげつづけた。ことに36年ごろからは,単に純粋な教会問題だけでなく,ナチスによる人間性破壊の事実に対して抗議の声をあげた。しかしニーメラーらの指導者をはじめ牧師や教会役員に対する逮捕投獄が相つぎ,危機的状況に陥った。ことに39年の第2次大戦の勃発によって,組織的抵抗としての教会闘争は不可能になり,戦いは地下活動的なものに移行せざるをえなかった。
執筆者:井上 良雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報