日本大百科全書(ニッポニカ) 「告白教会」の意味・わかりやすい解説
告白教会
こくはくきょうかい
Bekennende Kirche ドイツ語
ナチスの教会政策に反対し、ドイツ福音(ふくいん)主義教会内に成立した教会。1933年ヒトラーが政権につくと、これに呼応してドイツ・キリスト者の運動が活発となり、ミュラーL. Müller(1883―1946)を帝国監督に選出し、福音主義教会の均制化、すなわち全体主義化と民族主義化を推進しようとした。これに反対する牧師たちは「牧師緊急同盟」に結集。その組織的指導者はニーメラー、神学的指導者はカール・バルトであった。34年5月、バルメンに第1回告白会議が開かれ、信仰も制度も国家の権力意志に左右されないことが確認された(バルメン宣言)。同年10月、ベルリンのダーレム(ニーメラーの教区)に第2回告白会議が開かれ、11月に形成された暫定指導部は翌35年6月、アウクスブルクの第3回告白会議で承認された。福音主義教会はバルメン宣言および暫定指導部を認める告白教会とミュラーに指導されるドイツ・キリスト者の教会とに分裂。ヒトラーはケルルH. Kerrlを教会相に任命し、教会闘争の解決を図るが、告白教会の抵抗は強かった。告白教会内部でも対立は深まり、暫定指導部と意見を異にするルター派教会は、36年2月、バート・オエンハウゼンでの第4回告白会議で独自の指導部を設立する。37年ニーメラーは逮捕され、バルトもバーゼルに退くが、これは教会闘争の終了を意味せず、地方では牧師の抵抗が続けられた。第二次世界大戦後、ドイツ福音主義教会はバルメン宣言を出発点として再編された。
[吉田輝夫]