ドゥシャン(読み)どぅしゃん(その他表記)Stefan Dušan

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドゥシャン」の意味・わかりやすい解説

ドゥシャン
どぅしゃん
Stefan Dušan
(1308―1355)

セルビア王(在位1331~1355)。中世セルビアのネマニッチ(ネマーニャ)朝最大の版図を築いた国王。父デチャンスキーを廃して即位した。ビザンティン帝国内の王朝争いを巧みに利用するため、ハンガリーやラグーザRagusa(ドゥブロブニク)と友好関係を維持し、1346年にマケドニアの中心地スコピエで、「セルビア人、ギリシア人、ブルガリア人、アルバニア人の皇帝」を宣言。これに伴い、国内の法体系を整備し、1349年にビザンティン帝国の法典とセルビアの慣習法とを融合させたドゥシャン法典「ザコニク」Zakonikを制定した。彼はさらに、コンスタンティノープル進攻の準備をしたが、1355年に病死以後、オスマン帝国のバルカン進出が続き、セルビア王国は衰退の途をたどった。

[柴 宜弘]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ドゥシャン」の解説

ドゥシャン
Stefan Dušan

1308~55(在位1331~55)

中世セルビア王国最盛期の国王。ウロシュ3世の息子で,1331年に即位。巧みな外交政策により周辺諸国と友好関係を維持して南部に領域を拡大。45年にはギリシア中部までを手中に収め,ビザンツ帝国に迫った。セルビア正教会を総主教座に昇格させ,46年には総主教から「セルビア人とギリシア人の皇帝」として戴冠。また,49年にビザンツ法とセルビア慣習法を融合したドゥシャン法典を制定して国内固めを図ったが,熱病に冒されて急逝。以後,セルビア王国の広大な領域は内紛から分裂した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドゥシャン」の意味・わかりやすい解説

ドゥシャン

「ステファン・ドゥシャン」のページをご覧ください。

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