コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ドミトリー・ドンスコイ ドミトリー・ドンスコイ Dmitrii Donskoi

2件 の用語解説(ドミトリー・ドンスコイの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ドミトリー・ドンスコイ
ドミトリー・ドンスコイ
Dmitrii Donskoi

[生]1350.10.19. モスクワ
[没]1389.5.26. モスクワ
ロシアのモスクワ大公 (在位 1359~89) 。ディミトリー・ドンスコイとも表記される。イワン2世 (柔和公) の子。即位当初はモスクワ府主教アレクセイの指導のもとに統治。モスクワ大公国の順調な経済発展,ロシア教会との密接な関係を背景に,北東ロシアの長上権であるウラジーミル大公位をめぐる争いで他の諸公国を圧倒。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ドミトリー・ドンスコイ
どみとりーどんすこい
Дмитрий Донской Dmitriy Donskoy
(1350―1389)

ロシアのモスクワ大公(在位1359~89)。イワン2世の子。幼少のころは府主教アレクセイが摂政(せっしょう)を行った。ドミトリーは、モスクワ大公国の強化に努め、トベーリやリャザニを抑えてモスクワに大公位を確保する一方、リトアニアの東方進出を阻んだ。だがもっとも重要なのは、1380年ドン川河畔のクリコボにおいて、キプチャク・ハン・ママイの率いるタタールの大軍を破ったことである。この戦いは、いわゆる「タタールの軛(くびき)」に終止符を打つものではなかったが、ロシア人がキプチャク・ハンに対し初めて公然と反抗し、勝利を得た重要な戦いとなった。これ以後、彼は「ドンスコイ(ドン川の)」とよばれるようになった。『ザドンシチナ』はこのときの戦いを題材にした物語である。[栗生沢猛夫]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ドミトリー・ドンスコイの関連キーワードモスクワ宣言モスクワ芸術座・モスクワ藝術座モスクワ5000モスクワ国際平和マラソンモスクワ・ソロイスツモスクワを占領せよモスクワ・ヴィルトゥオージモスクワ・ヴィルトゥオーゾ室内管弦楽団モスクワ音楽劇場バレエ団モスクワ・シティー・バレエ団

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone