精選版 日本国語大辞典 「タタール」の意味・読み・例文・類語
タタール
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ヴォルガ・ウラル地方のトルコ系ムスリム民族。タタールスタン共和国の主要な民族で,ロシア連邦内にも広く居住。歴史的にはカザン・ハン国の遺民で,1552年のイヴァン4世による征服以来ロシア化の抑圧を受けた。18世紀末からはロシア‐中央アジア間の通商をになって,経済・文化的な復興を実現。ロシアでは長く征服者モンゴル人の異名としても用いられた。
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…人口2万2300(1989)。ハンティ族は,北群(オビ川流域の河口からシェルカリまで),南群(オビ川沿いにさらに南下してイルティシ川流域のトボリスクまで),東群(ハンティ・マンシースクからオビ川中流域沿いに支流のバスユガン川流域まで)に三分され,文化的にも北群はマンシ族に,南群はタタールに,東群はセリクープ族により近い。しかしアス・ヤフAs‐jax(ハンティ語で〈オビ川の民〉を意味する)に由来する旧称オスチャークがかつてはハンティ族だけでなく,マンシ族の一部やセリクープ族(旧称オスチャーク・サモエード),ケート族(旧称エニセイ・オスチャーク)をも包摂したように,そこには言語的差異を超越する文化的共通性(例えば,川筋に半定住する狩猟・漁労民)が反映されていると思われる。…
…契丹は6世紀後半に突厥(とつくつ)の支配をうけたもののだいたい独立を保ち,10世紀初めに契丹帝国を,また中国の華北に進出して遼を建国した。遼の滅亡後,モンゴリアには,モンゴル系の部族としてタタール,ケレイト,フンギラト,メルキト,ウリヤンハイ,オイラート,モンゴル等の名が見られる。このうちタタール(韃靼)の勢力が強かったことから,中国ではモンゴリアのことを韃靼(だつたん)と呼ぶようになった。…
※「タタール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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9/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新