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クレムリン クレムリンkreml'; kremlin

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

クレムリン
kreml'; kremlin

中世ロシアの都市の中心をなす城塞。河川に面した高台に建設されることが多く,木壁 (のちに石または煉瓦の壁) によって囲まれていた。中世都市の多くはクレムリンを備えていたが,なかでもモスクワのそれが最も重要かつ有名で,その内部にはさまざまな時代の宮殿や聖堂が群立している。モスクワ・クレムリンの起源は 11~12世紀にまでさかのぼるが,1366~67年ドミトリー・ドンスコイによって石で再建され,その後 15世紀後半イワン3世 (大帝) のときにロドルフォ・ディ・フィオラバンティ (アリストーテリ) ,マルコ・ルフォらイタリア人建築家の指導のもとで,ルネサンス風に全面的に改築され,ほぼ今日の規模に等しい壮大な要塞となった。城壁は延長 2.25km,高さ5~19mであり,20の城門と塔をもつ。内部にはウスペンスキー大聖堂とアルハンゲリスキー,ブラゴベシチェンスキーの二大聖堂のほかにイワン大帝鐘楼などが 15世紀末から 16世紀初頭にかけて建立され,17世紀にも娯楽宮,モスクワ総主教館などが新築され,城門の上にゴシック風の塔もつけ加えられた。 1712年に首都がペテルブルグに移ってから発展は一時中断,さらにナポレオン1世のモスクワ占領によって一部が破壊され,大きな損害を受けたが,その後再び修復され,K.トーンらによって,クレムリン大宮殿や武器宮殿などが建てられた。十月革命後はソビエト政府の中心となり,ソ連時代にはソ連邦最高会議やソ連邦閣僚会議がここを舞台とし,クレムリンといえば,ソ連政治の代名詞であった。ソ連邦崩壊後の今日でも,ロシアの首都モスクワのクレムリンは政治の中枢部である。 1990年赤の広場とともに世界遺産の文化遺産に登録。

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デジタル大辞泉の解説

クレムリン(Kreml'/Кремль/〈英〉Kremlin)

中世、ロシアの各都市に築かれた城砦(じょうさい)。

ロシア連邦の首都、モスクワにある城砦。12世紀ごろの創建とみられ、増改築を経て、帝政時代にはロシア皇帝の居城とされた。現在はロシア連邦政府の諸機関が置かれている。ウスペンスキー大聖堂ブラゴベシチェンスキー大聖堂アルハンゲリスキー大聖堂クレムリン大宮殿グラノビータヤ宮殿など、さまざまな時代に建造された大聖堂や宮殿がある。1990年、「モスクワのクレムリンと赤の広場」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。
ロシア連邦西部、ウラジーミル州の都市スーズダリ城砦跡。11世紀に建造。カメンカ川沿いの土塁が今も残っている。敷地内には13世紀建造のロジュジェストベンスキー聖堂をはじめ、鐘楼、宮殿、ニコーリスカヤ教会などがある。1992年に「ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群」の名称で世界遺産(文化遺産)に登録された。
に政府の重要機関が置かれたことから》ソビエト連邦政府またはロシア連邦政府のこと。

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百科事典マイペディアの解説

クレムリン

ロシア語ではクレムリkreml’といい,城塞(じょうさい)の意。中世ロシアでは封建都市の中枢として官庁,大寺院,公邸などを設けたクレムリが多く存在したが,モスクワのそれ(1156年創建)が特に有名。

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世界遺産情報の解説

クレムリン

モスクワ川沿いの小高い丘の上にたつクレムリン。1703年まで帝政ロシアの王朝府、その後ソ連最高会議場として用いられソ連政権の代名詞となった建造物です。現在はロシア連邦の大統領府や官邸があります。いつの時代もロシアの中枢として繁栄しているクレムリンはもともとロシア語で城塞を意味しています。クレムリンの赤い城壁の総延長は2.25km。20の城門を備えています。隣接する赤の広場とともに1990年に世界遺産に登録されました。

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世界大百科事典 第2版の解説

クレムリン【kleml'[ロシア]】

ロシア中世都市の中心部に位置する城塞。多くは川や湖に面する丘の上に存する。古来からの聖俗の権力・行政機関の所在地。多くの都市(ニジニ・ノブゴロド,カザンアストラハンコロムナ,ノブゴロド,プスコフ等)で,16~17世紀に遡る城壁や教会などが今日に至るまで保存されているが,その代表はモスクワである。モスクワのクレムリンは1156年ユーリー・ドルゴルーキー公の命により,モスクワ川とネグリンナヤ川との合流点に木造の要塞が築かれたのをもって始めとする。

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大辞林 第三版の解説

クレムリン【Kremlin】

モスクワにある古い城砦宮殿の名。帝政時代に宮殿と寺院が設けられ、今はロシア連邦政府の諸機関がある。クレムリン宮殿。
旧ソ連政府あるいは旧ソ連共産党をさす語。

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世界の観光地名がわかる事典の解説

クレムリン【クレムリン】
Kremlin

ロシアの首都モスクワにある宮殿。そもそもは木造の城塞として建設されたもので、ロシア政府の重要機関が集まっている。1990年、世界遺産に登録された。城壁内には大クレムリン宮殿をはじめとして、ブラゴヴェシチェンスキー聖堂やウスペンスキー大聖堂など、歴史的、美術的に重要な建造物が建ち並ぶ。◇「クレムリン」は「城塞」という意味のロシア語。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

クレムリン
くれむりん
Kremlin

ロシア語ではクレムリКремль/Kreml'(城の意)。一般にはモスクワのクレムリンのこと。ここにソ連最高会議(国会)とソ連閣僚会議(政府)があったので、ソ連の最高指導部を意味したこともあり、ソ連崩壊後もロシア連邦の大統領府がある。1156年にユーリー・ドルゴルーキーがモスクワ川の左岸の小高い丘に砦(とりで)を築いたのがクレムリンの始まりといわれる。1367年、ドミトリー・ドンスコイがモンゴル軍の襲来に備えて白い石で壁と塔を建てた。さらに、1480年にモンゴルからの独立を達成したイワン3世が、1485年から95年にかけて壁と塔をれんが造にかえ、ウスペンスキー寺院(1475~79)、ブラゴベシチェンスキー寺院(1484~89)、グラナビータヤ宮殿(1487~91)、アルハンゲリスキー寺院(1505~08)、イワン大帝鐘楼(しょうろう)(1505~08)などの建設を始め、この時代に今日のクレムリンの景観がほぼできあがった。18世紀初めにピョートル大帝がペテルブルグ(ソ連時代のレニングラード)をつくり、首都を同地に移したので、皇居としての機能はなくなったが、歴代皇帝の戴冠(たいかん)式はウスペンスキー寺院で行われた。遷都後も元老院の建物(1776~87)、クレムリン大宮殿(1839~49)、武器庫(1844~51)などが建てられた。
 1917年11月(露暦では10月)の革命後、モスクワがふたたび首都となり、クレムリンがソ連政治の中心となった。旧元老院の建物に人民委員会議が置かれ、レーニンがそこに住みながら同議長として活躍した。1959年から61年にかけて大会宮殿が建設され、劇、バレエ、音楽会などの会場として利用されている。赤の広場に面する壁には、革命の功労者の遺骨が納められ、その前には、スターリン、ブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコなどの墓やレーニン廟(びょう)がある。赤の広場では、11月7日の革命記念祝賀パレードや5月1日のメーデー行進が行われた。ソ連崩壊後はレーニン廟前の衛兵もいなくなり、訪問者も少なくなった。かわって赤の広場に面したショッピングセンターは華やかさを増した。なお、クレムリンは1990年に赤の広場とともに世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。[中西 治]

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世界大百科事典内のクレムリンの言及

【モスクワ】より

…日本との時差は6時間である。
[市街,行政]
 モスクワは,他の多くのロシアの古い都市と同様に,クレムリンからはじまったという歴史的条件を反映して,クレムリンならびに赤の広場Krasnaya ploshchad’をはさんでクレムリンと向かい合う旧商工業区キタイ・ゴロドKitai‐gorodを中心とする環状道路が樹木の年輪のように幾重にも都心部を取り巻いている。その最も外側のモスクワ環状自動車道路(総延長109km)が1960年以来,市の境界の役割を果たしている。…

【モスクワ・ロシア】より

…外国との公式の接触はイワン3世の代からふえ,継続的な外交関係も始まっていた。イタリア人専門家が招かれてクレムリンの城壁と教会堂の建設に当たったのもイワン3世のときであった。これはイタリア・ルネサンスがロシアに残した記念碑であるが,中世末のモスクワ文化自体,キエフ・ロシアの文化への強い関心という点も含め前期ルネサンス的性格をもっていた。…

【ロシア・ソビエト美術】より


[西欧化政策のもとで]
 ロシア美術が一つの頂点に達したのは,タタールから解放され国家的統一がすすんだ15世紀末である。コンスタンティノープルが陥落し,モスクワが〈第三のローマ〉としての意識をもったことも手伝って,イタリアから建築家が招かれて,モスクワ・クレムリン内に石造の教会堂や宮殿が次々と建てられた。ロシア美術史における大きな転換は18世紀に起こる。…

※「クレムリン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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