フランスの写真家。本名はガスパール・フェリックス・トゥールナションGaspard-Félix Tournachon。ナダールは,19世紀中葉のパリの有名人であった。写真家として有名であったばかりではなく,ジャーナリスト,風刺画家,評論家,気球乗りでもあった。パリに生まれたナダールは,初め医学の勉強をしていたが,父の事業の失敗によりその道を断念,やがてジャーナリスト(雑文,風刺画)としてその名を知られるようになった。1854年,パリのサン・ラザール通りに兄アンドレとともにスタジオを開くが,そこは写真館というよりも,当時の知識人たちのサロンといった趣のものであった。このスタジオを訪れ,ナダールのカメラの前に立った人々には,ボードレール,ゴーティエ,ロッシーニ,リスト,ドラクロア,コロー,サラ・ベルナールなどの詩人,文人,音楽家,画家,俳優がいる。ナダールのポートレート(肖像写真)は,単純な背景の中に全身の4分の3をストレートなライティングで写したものであるが,それは単なる人物の性格描写をこえ,これら芸術家自身の表現世界の広がりさえ感じさせるものであった。また58年には気球に乗り,世界最初の空中写真の撮影を試みたり,61年には3ヵ月をかけてパリの地下に発見されたカタコンベ(地下納骨堂)の撮影を,当時ようやく開発されたアーク灯による人工照明で撮影している。ナダールの波瀾に富んだ経歴はJ.ベルヌの《月世界旅行》の主人公のモデルとしても反映されているといわれる。彼が残した数々のポートレートやドキュメントは,単にパイオニアというだけではなく,完成された独自の世界をもって今も息づいており,とくにそのポートレートはすぐれた芸術的古典といいうるものであろう。
執筆者:金子 隆一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
フランスの写真家。ダゲレオタイプ(銀板写真)が生まれて以来の最初の巨匠。本名Gaspard-Félix Tournachon。パリに出版業者の子として生まれ、青年時代から「パンテオンのナダール」と号して、風刺画を描くジャーナリストとして活躍する。1853年、パリの下町で写真スタジオを始め、従来の肖像写真にはなかった生き生きとした性格描写で人気を博した。60年には繁華街に進出し、ナダール・スタジオにはボードレール、大デュマ、ユゴー、ジョルジュ・サンド、ドラクロワ、アングル、モネ、サラ・ベルナールといった同時代の芸術家や名士たちが押し寄せてにぎわった。彼はまた、熱気球による空中写真、人工照明(アーク灯)による写真などの祖である。第1回の印象主義の展覧会(1874)の会場となったのは、彼のスタジオであった。
[平木 収]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
1820.4.5 - 1910.3.20
フランスの写真家。
パリ生まれ。
本名Gaspar‐Félix〉 ガスパール=フェリクス〈Tournachon トゥルナション。
銀板写真が生まれて以来最初の巨匠。1853年写真スタジオをパリの下町で始め、生き生きとした性格描写で人気を得た。彼のスタジオにはボードレール、大デュマ、ジョルジュ・サンド、モネ等19世紀の芸術家、文学者、音楽家等が押し寄せ、優れた肖像を遺した。又1858年には熱気球を使って空中写真の撮影を行う。1874年彼のアトリエで第1回印象主義の展覧会が開催された。
出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…こうした手段により,現実的なイメージをいっそう豊かに喚起することができる。意識的に撮影された組写真として写真史上に名高いのは,ナダールPaul Nadar(1856‐1939)が写した老化学者と父F.T.ナダールのインタビュー写真(1886)である。これは同じ位置から時間を違えて写した場面が,当時の新聞に13枚1組で掲載された。…
※「ナダール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新