ハミルカル・バルカス(その他表記)Hamilcar Barcas

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハミルカル・バルカス」の意味・わかりやすい解説

ハミルカル・バルカス
Hamilcar Barcas

[生]?
[没]前229/前228
カルタゴ将軍。ハミルカル・バルカとも呼ばれる。ハンニバルの父。第1次ポエニ戦争末期シチリアのカルタゴ軍を指揮してローマを苦しめた。シチリア西部のエルクテ山とエリュクス山上の要塞を拠点にして,前 247~前 242年にかけ巧妙なゲリラ戦を展開。しかし前 241年カルタゴ軍がアエガデス諸島沖でローマに撃破されたため,ローマと和約を結んだ。敗戦後カルタゴに起こった傭兵反乱鎮圧尽力 (前 238年まで) ,その成功により民意を得てカルタゴ民衆党の指導者となった。その後,シチリアをローマに奪われた償いとして,また対ローマ作戦の新根拠地を築くために,ヒスパニア (スペイン) 遠征に乗り出し,スペインの南部,東部を獲得し,戦死するまで祖国復興に尽くした。

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改訂新版 世界大百科事典 「ハミルカル・バルカス」の意味・わかりやすい解説

ハミルカル・バルカス
Hamilcar Barcas
生没年:前290ころ-前229

カルタゴの政治家,将軍。ハンニバルの父。バルカスとは〈雷電〉の意。第1次ポエニ戦争末期に艦隊を率いてイタリア南岸を襲い,シチリアでゲリラ戦を展開してローマ軍を悩ませた後,ローマとの和平交渉に活躍。戦後は傭兵の反乱を抑えたが,前237年,兵を率いてスペインに渡り,南スペインを制圧してバルカス家支配の基礎を築いた。ローマへの復讐戦の意図は不明。ただしローマ,カルタゴ衝突の遠因がバルカス家のスペイン支配にあったことは確かであろう。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハミルカル・バルカス」の意味・わかりやすい解説

ハミルカル・バルカス
はみるかるばるかす
Hamilcar Barcas
(?―前229)

カルタゴの部将。ハンニバルの父。紀元前247年カルタゴ軍の指揮権を受け継ぎ、第一次ポエニ戦争を戦う。シチリアに上陸してローマ軍を破り、イタリア半島沿岸部をクーマエまで略奪する。しかし本国から十分な救援が得られず、前241年シチリアのアエガテス沖の海戦に敗れてローマと和を結んだ。のち帰国し、敗戦による給料未払いのため起こった傭兵(ようへい)の反乱を抑え、政敵ハンノと戦った。前237年新天地を求めて息子ハンニバル、女婿ハスドルバルらとともにイベリア半島へ渡ってガデス(現カディス)からアンダルシア地方を支配下に収め、勢力を拡大した。前229年エルケーの攻囲から引き揚げる途中溺死(できし)した。

田村 孝]

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旺文社世界史事典 三訂版 「ハミルカル・バルカス」の解説

ハミルカル=バルカス
Hamilcar Barcas

前290ごろ〜前229
カルタゴの将軍
ハンニバルの父。第1回ポエニ戦争で活躍した。戦後,ローマに対抗するため,前237年スペインに渡ってバルセロナ市を開きバルカス家支配を確立した。

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