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ビートン ビートン Beaton, Sir Cecil (Walter Hardy)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ビートン
ビートン
Beaton, Sir Cecil (Walter Hardy)

[生]1904.1.14. ロンドン
[没]1980.1.18. ウィルトシャーソールズベリ
イギリスの写真家,舞台美術家。早くから写真に興味をもち,1920年代には雑誌のファッション写真を撮影。第2次世界大戦にはイギリス情報省の従軍写真家として活躍した。一方,1935年から演劇,ミュージカルバレエの舞台と衣装のデザインも手がけ,代表作品には J.ギールグッドによる『ウィンダミア夫人の扇』 (1945) ,ミュージカル『マイ・フェア・レディ』 (舞台 56,映画 64) ,F.アシュトンのバレエ『マルグリットとアルマン』 (63) などの装置がある。

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ビートン
ビートン
Beaton(Bethune), David

[生]1494頃
[没]1546.5.29. ファイフセントアンドルーズ
スコットランドの聖職者。パリ大学に学んだカトリック教徒で,1538年枢機卿になり,翌年叔父ジェームズビートンの死とともにセントアンドルーズ大司教を継ぐ。 42年ジェームズ5世の死去に際し,王の遺言書を偽造して摂政になろうとしたが露見して一時入獄。

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百科事典マイペディアの解説

ビートン

英国の写真家。ロンドン生れ。裕福な木材輸入商の家に生まれ,幼年時より写真に親しむ。大学卒業のころ家は没落するが,22歳で写真家になることを決意。1928年米国版の《ボーグ》誌の専属写真家となり,ファッション写真に新風を吹き込んだ。

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世界大百科事典 第2版の解説

ビートン【Cecil Beaton】

1904‐80
イギリスの写真家。イギリスの上流階級に生まれたビートンは,写真家としてだけではなく画家,舞台美術家,著述家,俳優などとしても才能を発揮した多才な人物であった。写真には子どものころから親しんでいたが,1930年代にはファッション写真家として活躍するようになった。《ボーグ》《ハーパーズ・バザー》などの雑誌に発表した写真は,華麗で幻想的な独特の演出によるもので,新しいファッション写真のスタイルを作り出している。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ビートン
びーとん
Cecil Beaton
(1904―1980)

イギリスの写真家。本名セシル・ウォルター・ハーディ・ビートン Cecil Walter Hardy Beaton。ロンドン生まれ。裕福な家庭に育ち、幼少のころより劇場や社交界に親しみながら、1913年、乳母(うば)よりブローニー判ボックスカメラの手ほどきを受ける。やがて、コダックのカメラを手にしたビートンは、妹たちや母親さらには一家の友人らの写真を撮り始めた。18年ケンブリッジ大学ハーロー校に入学するが、学業よりも絵画・演劇・写真などの芸術に傾倒。22年セント・ジョーンズ校に入学すると、在学中にイギリス版『ボーグ』誌に送った作品が認められ、弱冠25歳にして同誌の契約カメラマンとなる。以後、エドワード・スタイケンをはじめ、ジョージ・ホイニンゲン・ヒューンGeorge Hoyningen-Huene(1900―68)、ホルスト・P・ホルストHorst Paul Horst(1906―99)といった華やかなファッション写真家たちと競い合う一方で、イギリス王室の信頼を得て、エリザベス皇太后(1900―2002)のエレガントなポートレート(1930年代)や、エリザベス2世の初々しいポートレート(1950年代)などロイヤル・ファミリーのポートレートを一任され、「宮廷写真家」としての地位を確立。のちに、写真集『ザ・ロイヤル・ポートレーツ』The Royal Portraits(1988)が刊行されている。
 1929年初めてニューヨークを訪れ、『ボーグ』誌の出版元であるコンデ・ナスト本社と世界版契約を結んだ彼は、活躍の場所をより国際的な『ボーグ』誌へと拡げ、写真のみならずデザイン画や記事なども投稿するようになる。32年、のちに恋人となる女優グレタ・ガルボと出会い、ハリウッドとの関わりを深める。ビートンのエレガントでロマンチックなクリエーションの世界は、たちまちハリウッド映画と結びつき、ゲーリー・クーパーやマリリン・モンロー、マレーネ・ディートリヒといった銀幕のスターたちの写真を次々と撮る。
 第二次世界大戦中は、イギリス情報省の記録写真家としてロンドン大空襲やアフリカ諸国、インド、中国などアジアにおける戦禍の模様をつぶさに撮影。終戦後は、ロンドンに戻り、高級感のある生活を提唱した「ニュー・リアリズム」でファッション写真の世界に返り咲く。63年にはお気に入りの女優オードリー・ヘップバーン主演の映画『マイ・フェア・レディ』の衣装とセット・デザインを担当し、翌年、同作品は大成功をおさめ、ビートンはアカデミー賞2部門でオスカーを受賞。のちにビートンは「私には二つのキャリアがある。一つは写真家、もう一つはセット・デザインだ」と述べている。後年はリチャード・アベドンやアービング・ペンといった若くて才能のある後進に押されてその名声は消えかけたものの、50~60年代の若者たちの芸術運動に同化。アンディ・ウォーホルやミック・ジャガー、ギルバート・アンド・ジョージらのポートレートで再び評価され、68年、ナショナル・ポートレート・ギャラリーで回顧展「ポートレート1928~1968」が開催された。72年ナイト爵位を授与される。没後、ビートンの15万余におよぶ写真作品、ネガ類、スクラップブック等の資料はすべてサザビー社に一括管理されている。[中村浩美]
The Face of the World; An International Scrapbook of People and Places (1957, The John Day Company, New York) ▽The Best of Beaton (1968, Macmillan, New York) ▽Beaton (1980, Secker & Warburg, London) ▽Beaton; A Studio Book (1980, Viking Press, New York) ▽Cecil Beaton (1986, Barbican Art Gallery, London) ▽The Royal Portraits (1988, Simon and Schuster, New York) ▽The Magic Image; The Genius of Photography (1989, Pavillioni, London) ▽Cecil Beaton; Photographs 1920-1970 (1994, Schirmer/Mosel, Mnchen) ▽「セシル・ビートン展――今世紀を駆けた華麗なるダンディズム」(カタログ。1995・G.I.P.)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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