マイ・フェア・レディ
まいふぇあれでぃ
My Fair Lady
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マイ・フェア・レディ〔映画〕
1964年製作のアメリカ映画。原題《My Fair Lady》。ジョージ・バーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』をベースにしたミュージカルの映画化。監督:ジョージ・キューカー、出演:レックス・ハリソン、オードリー・ヘプバーン、スタンリー・ホロウェイほか。第37回米国アカデミー賞作品賞、監督賞、主演男優賞(レックス・ハリソン)、美術賞(カラー)、撮影賞(同)、衣裳デザイン賞(同)、編曲賞、音響賞受賞。
マイ・フェア・レディ〔ミュージカル〕
1956年初演のミュージカル。原題《My Fair Lady》。脚本・作詞:アラン・ジェイ・ラーナー、作曲:フレデリック・ロウ。バーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』に基づく。1957年に第11回トニー賞(ミュージカル作品賞)、2002年に第26回ローレンス・オリヴィエ賞(新作ミュージカル賞)を受賞。1964年にオードリー・ヘップバーン主演で映画化された。
マイ・フェア・レディ〔アルバム〕
ドラム奏者、シェリー・マンの1956年録音のジャズ・アルバム。コンテンポラリー・レーベル。ミュージカル「マイ・フェア・レディ」の歌曲をモチーフにしたピアノ・トリオによる演奏。原題《MY FAIR LADY》。
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「マイ・フェア・レディ」
<名セリフ>
あなたなしでも、私は孤独だとは思わない。(一九六四/米)
粗野な花売り娘をレディーに変える――愛情からだと思っていた試みが、実は賭けの対象だったと知ったイライザ(オードリー・ヘプバーン)は、世話になったヒギンズ教授(レックス・ハリソン)に、みくびるようにこういう。
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世界大百科事典(旧版)内のマイ・フェア・レディの言及
【ショー】より
…それ以後,ヒロイズムを風刺した《悪魔の弟子》(1897),売春問題を扱った《ウォレン夫人の職業》(1902),生命力の哲学を具体化させた《[人と超人]》(1905),英雄を茶化した《シーザーとクレオパトラ》(1906),ジャンヌ・ダルクを主人公にした《聖ジョーン》(1923)のほか,おびただしい数の戯曲を発表した。音声学者が花売り娘に上流階級の言葉づかい,礼儀作法を教えこんでレディに仕立てる《ピグマリオン》(1913)は,のちにアメリカで,ブロードウェーでのミュージカル・ドラマ化を経て,《マイ・フェア・レディ》(1964,[G.キューカー]監督,アカデミー作品賞ほかを受賞)として映画化された。ロマンス性も強いが,イギリスの階級制度を風刺している。…
【ビートン】より
…後年は,イギリス王室写真家として著名であった。なお,ヒット・ミュージカル《マイ・フェア・レディ》の舞台美術と華麗な衣装の数々は,舞台・映画ともこのビートンによってデザインされている。【金子 隆一】。…
【ピュグマリオン】より
…みずからの手でつくった象牙の乙女像に恋し,これに似た女性が妻に授かるようにと女神アフロディテに祈ったところ,女神は像に生命を吹きこんだので,生身の人間となった彼女をめとり,1子パフォスPaphosを得たという。オウィディウスの《転身物語》でよく知られるこの話は,新しくはG.B.ショーの喜劇《ピグマリオン》(1913)に翻案され,次いでそれを原作としてミュージカル《マイ・フェア・レディ》が上演された。なお,ピュグマリオンの妃となった女性をガラテアGalateaの名で呼ぶことがあるが,古代の伝承にはない名である。…
【ロングラン・システム】より
…もともと舞台装置や舞台衣裳に膨大な経費を要し,また高額な宣伝費をかけなければ成功を期待できないミュージカルの制作者が,投資額の回収のために採用した方式であり,したがって,興行を1人のプロデューサー,あるいはその共同体であるプロダクションが主催するいわゆるプロデューサー・システムと切り離しては,ロングラン・システムの成立は考えられない。ミュージカルの長期公演記録としては,《マイ・フェア・レディ》の2717回がある。アメリカだけでなくロンドンやパリの劇場でもこの方式が成功して,前者ではA.クリスティの《ねずみとり》,後者ではE.イヨネスコの《禿の女歌手》が,20年をこえて現在でも興行を続けている例がある。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」