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ファルネーゼ家 ファルネーゼけFarnese

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ファルネーゼ家
ファルネーゼけ
Farnese

イタリアの名門家系で,パルマピアチェンツァ公家。起源は 10世紀といわれる。一門が頭角を現したのは,ラヌンチオ (?~1460頃) の代からで,傭兵隊を指揮して教皇領の防衛にあたり,ローマ教皇エウゲニウス4世の信任を得,富と権勢を築いた。特に栄えたのは一門のアレッサンドロが 1534年にパウルス3世として教皇に選ばれてからである。彼は 45年に教皇領の一部を割譲してパルマ=ピアチェンツァ公国を新設,それを庶子のピエル・ルイジ (ファルネーゼ,P.) に与えた。彼は専制政治をしき,法制,政治機構の整備,皇帝権からの独立をはかったが,貴族の陰謀によって暗殺された。次いでピエル・ルイジの子オッタビオ (1524~86) が第2代パルマ=ピアチェンツァ公となり,神聖ローマ皇帝カルル5世の庶子マルゲリータと結婚。しかし公国の独立をカルルよりたびたび脅かされた。ヘント条約 (56) によりピアチェンツァを確保。その子アレッサンドロ (ファルネーゼ,A.) はスペイン王フェリペ2世の宮廷で教育を受け,傭兵隊長として活躍。レパントの海戦 (71) ,ネーデルラントの反乱軍制圧に戦功をあげ,78年 10月フェリペ2世よりネーデルラント総督に任命された。 86年に公を継ぎ,フェリペ2世のイギリス本土侵攻にそなえてネーデルラントから引揚げたが,88年無敵艦隊敗退の責任の一端を負わされて病につき,92年没。以後も同家がパルマ=ピアチェンツァ公国を保持したが,アントニオ (1673~1731) のときに嗣子がなく,1731年で家系は絶えた。同家は芸術家を保護したことでも有名。

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