イタリア北東部、エミリア・ロマーニャ州フェッラーラ県の県都。人口13万0461(2001国勢調査速報値)。ポー川下流域に位置し、交通の要衝。元来湿地帯であったが、近年にまで及ぶ干拓事業によって豊かな農業地帯に転身した。農産物の集散地であるとともに、農業と関連した食品工業(製糖・製粉)や農業機械の製造が盛んである。石油化学の大工場がある。宗教改革者サボナローラの生地。
[堺 憲一]
657年に建てられたサン・ジョルジョ・ベッキオ教会周辺に形成された集落を起源とする。11~12世紀に都市としての体制を固め、オビッツォ2世ObizzoⅡ (在位1264~93)以来16世紀末までエステ家の本拠地として大いに繁栄した。その間1391年には大学が創設され、とくにボルソBorso(モデナ・レッジョ公1452~71、フェッラーラ公1471)とエルコレ1世Ercole Ⅰ(フェッラーラ・モデナ・レッジョ公1471~1505)の治世下にはルネサンス文化の中心地として全盛時代を迎え、絵画のフェッラーラ派を生み出した。教皇領(1598~1796、1815~60)となってから衰退するが、19世紀末にテンサイの栽培・加工を契機として市の再興が図られた。第二次世界大戦後、市街地が著しく拡大した。ロマネスク・ゴシック様式の大聖堂(1135~14世紀)のほか、エステ家の城(1385~1570)、スキファノイア宮殿(1385~1469)、ディアマンティ宮殿(1492~1575)などエステ家の繁栄を今日に伝える建物が多く残っている。
[堺 憲一]
北イタリア,ポー川デルタ地帯の中心都市。8世紀に教皇領となり,ついで10世紀にカノッサ伯領となる。13世紀以来エステ家によって支配される。15~16世紀にルネサンスの一中心をなし,のち教皇領に編入され,1860年サルデーニャ王国に併合された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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