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フェラー William Feller

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世界大百科事典 第2版の解説

フェラー【William Feller】

1906‐70
アメリカの数学者。ユーゴスラビアザグレブに生まれ,1925年ザグレブ大学を卒業,26年,20歳にしてドイツゲッティンゲン大学から学位を授与される。28年キール大学応用数学研究所長に任ぜられたが,33年にはストックホルムに移り,数理統計学研究所,実験生物学研究所に籍をおいた。39年アメリカに移住し,ブラウン大学コーネル大学,50年からはプリンストン大学教授となった。この間主として確率論の研究に専念し,極限定理,マルコフ過程確率過程論の応用についてすぐれた業績を残したが,なかでも一次元拡散過程の解析的研究は有名である。

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百科事典マイペディアの解説

フェラー

アメリカのプロ野球選手。右投右打の投手。メジャーリーグ,インディアンスで18シーズン在籍。通算成績266勝,奪三振2531。剛速球の投手で,日本では〈火の玉投手〉と呼ばれた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

フェラー
ふぇらー
Robert (Bob) Feller
(1918―2010)

アメリカのプロ野球選手(右投右打)。大リーグメジャー・リーグ)のクリーブランド・インディアンスで、1936年から、3年半の兵役を挟んで、1956年まで投手としてプレー、「ラピッド・ロバートRapid Robert」(快速球ロバートの意)というニックネームがつけられるほど速いボールを武器に、通算7回奪三振王に輝いた。日本では「火の玉投手」とよばれている。
 11月3日、アイオワ州のバンミーターに生まれる。高校在学中に地元バンミーターでセミプロチームの一員としてプレーし、1936年、インディアンスと契約。高校を一時休学して17歳で大リーグにデビューした。同年8月23日、対セントルイス・ブラウンズ(現、ボルティモア・オリオールズ)戦で三振15を奪い、9月13日の対フィラデルフィア・アスレチックス(現、オークランド・アスレチックス)戦では当時ディジー・ディーンDizzy Dean(1910―1974)がもっていた1試合17奪三振の大リーグ記録に並んだ。翌1937年は右腕を痛めたこともあって伸び悩んだが、その後スライダーの切れ味も増し、1938年から4年連続で奪三振王に輝いた。また、1939年から1941年までは最多勝のタイトルも獲得した。1940年には史上初の開幕戦ノーヒットノーランを達成した。1942年から1945年シーズン終盤までは兵役(海軍)に服すためにプレーを中断したが、復帰した翌1946年には26勝(15敗)で最多勝、リーグトップの奪三振348を記録した。同年4月30日の対ニューヨーク・ヤンキース戦では2回目のノーヒットノーランも達成した。1948年には19勝15敗でリーグ優勝に貢献、ワールド・シリーズでは勝利をあげられなかったが、インディアンスは優勝を果たした。1951年7月1日の対デトロイト・タイガース戦で、1点を失ったが無安打に抑え、初めて無安打試合を3試合達成した投手になった。オールスター・ゲームには8回出場している。
 実働18年間の通算成績は、登板試合570、投球回3827、266勝162敗、防御率3.25、奪三振2581、完投279、完封44。獲得したおもなタイトルは、最多勝利6回、最優秀防御率1回、最多奪三振7回。1962年に野球殿堂入り。[出村義和]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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