ブリュッヒャー(英語表記)Blücher, Gebhard Leberecht, Fürst Blücher von Wahlstatt

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブリュッヒャー」の意味・わかりやすい解説

ブリュッヒャー
Blücher, Gebhard Leberecht, Fürst Blücher von Wahlstatt

[生]1742.12.16. ロシュトック
[没]1819.9.12. シュライゼン,クリプロウィッツ
ドイツ,プロシア軍人。 1793~94年の第1次対仏大同盟戦争に功を立て,94年下ライン軍団司令官。 1803年ミュンスター軍政長官,06年イェナの会戦に参加したが,ラトカウでフランス軍の捕虜となった。ティルジットの和約後帰国してポンメルンの軍政長官となったがナポレオン1世の圧力で退役。 13年解放戦争の開始とともにプロシア=ロシア連合軍を指揮して各地に転戦し,その功により元帥となり,翌年1月ラインを渡って苦戦の末パリ入城を果し,ワールシュタット公となった。 15年ナポレオンがエルバ島を脱出すると,再びプロシア野戦軍司令官となった。 15年6月 16日,ソグニーの戦いでは大敗したが,18日ワーテルローで激戦中のフランス軍の側面を突き,ナポレオンに致命的敗北の主因を与えた。常に軍団の先頭に立ち「前進元帥」 Marschall Vorwärtsとあだ名された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブリュッヒャー」の意味・わかりやすい解説

ブリュッヒャー
ぶりゅっひゃー
Gebhard Leberecht, Fürst Blücher von Wahlstatt
(1742―1819)

プロイセン将軍。ロストック出身で最初スウェーデンに仕官したが七年戦争(1756~63)でプロイセンの捕虜となり、以後プロイセンの騎兵司令官となって頭角を現した。1807年ポンメルン軍政長官となり、プロイセン改革を支援したが、解放戦争を主張したためフランスの要求で罷免された。解放戦争が始まると、13年ロシア・プロイセン両軍からなるシュレージエン軍の司令官となってライプツィヒの戦いでフランス軍に勝利を収めた。さらに15年には、グナイゼナウの策によりリニの戦いで敗れたプロイセン軍を巧みに対仏連合軍に合流させて、ワーテルローの戦いの勝利に貢献した。迅速果敢な行動から「前進元帥」とよばれ、解放戦争の英雄とたたえられた。

[岡崎勝世]

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