グナイゼナウ(読み)ぐないぜなう(英語表記)August Gneisenau

日本大百科全書(ニッポニカ) 「グナイゼナウ」の意味・わかりやすい解説

グナイゼナウ
ぐないぜなう
August Gneisenau
(1760―1831)

プロイセン軍人、軍制改革者。ナポレオン戦争イエナ敗戦(1806)後コルベルクの要塞(ようさい)を死守して認められ、シュタインシャルンホルストらと軍制改革で中心的役割を果たした。解放戦争時にはブリュッヒャーの参謀長となってパリ入城を果たし、またワーテルロー戦い(1815)で勝利に貢献した。ベルリン総督、元帥となり、ポーランド反乱の鎮定に出陣中、ポーゼンポズナニ)でコレラにより死去した。

[岡崎勝世]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グナイゼナウ」の意味・わかりやすい解説

グナイゼナウ
Gneisenau, August Wilhelm Anton, Graf Neidhardt von

[生]1760.10.27. トルガウ近郊シルダウ
[没]1831.8.23. ポーゼン
ドイツ,プロシアの軍人。 1782~83年イギリスの傭兵としてカナダでアメリカ独立軍と戦い,86年プロシア軍に入隊。イェナの会戦に参加したのち,1807年にはコルベルク (コウォブジェク) 要塞を守り抜いて認められ,参謀本部に入って,G.シャルンホルストおよび K.シュタインのもとでプロシアの軍制改革に尽力した。シュタイン罷免ののち,辞職して各地を歴訪。 13年にシャルンホルストの参謀長となり,その死後,参謀総長としてライプチヒの戦いなどの戦略を指導。 15年 G.ブリュッヒャー元帥の参謀長としてワーテルローの会戦に参加,フランス軍の側面を突いて,連合軍勝利の原動力となった。 16年以降はラインの第8軍団司令官に退き,25年元帥。 31年のポーランド蜂起に際し,鎮圧軍の指揮官としてポーゼンにおもむき,コレラで死亡した。

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