ブルトゥス

百科事典マイペディアの解説

ブルトゥス

古代ローマの政治家。英語読みではブルータス。名門の出。小カトーの甥(おい)。共和制理念の護持者で,カエサルのもとで諸官職を歴任したが,前44年カエサル暗殺の首謀者となった。のち東方にのがれたが,フィリッピの戦アントニウス=オクタウィアヌス連合軍に敗れ,自殺。
→関連項目アントニウスフィリッピ

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世界大百科事典 第2版の解説

ブルトゥス【Marcus Iunius Brutus】

前85‐前42
共和政末期ローマの政治家。英語読みではブルータス。カエサル暗殺の首謀者。名門の出。小カトーの甥。ストア哲学の信奉者で,共和政理念の保持者として知られる。前58年から前56年にかけて小カトーのもとキプロスで活躍し,前53年には財務官としてキリキアに赴任した。内乱ではポンペイウスについてカエサルに相対したが,ファルサロスの戦の後許され,のちカエサルのもとで諸官職を歴任した(前46年,ガリア・キサルピナの長官。

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世界大百科事典内のブルトゥスの言及

【カエサル】より

…また前45年1月1日から太陽暦(ユリウス暦)を採用している。しかし,権力・栄誉を一身に集中したため,共和政護持派のブルトゥス,カッシウスらに前44年3月15日,元老院議場で暗殺された。 雄弁家・文人としても第一級の人物であったが,演説の草稿,書簡,パンフレットは散逸し,現存するのは,簡潔な文体,的確な現実把握の点でラテン文学の傑作といわれる《ガリア戦記》《内乱記》のみである。…

【カッシウス】より

…内乱ではポンペイウス派に属した。赦免され,前44年プラエトル在職中ブルトゥスらとカエサル暗殺を組織した。決行後シリア方面に逃れて軍備を整え,ブルトゥスと合流してマケドニアのフィリッピでアントニウス=オクタウィアヌス軍と会戦(前42)し敗死。…

※「ブルトゥス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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