カトー(読み)かとー(英語表記)Marcus Porcius Cato Censorius

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カトー」の意味・わかりやすい解説

カトー[ウチカ]
Cato Uticensis, Marcus Porcius

[生]前95
[没]前46. ウチカ
古代ローマの政治家。カトー (大)曾孫。共和政護持に努めた元老院の保守的貴族でユリウス・カエサル政敵。前 67年マケドニアの護民官 (トリブヌス・プレビス ) 。のち財務官 (クアエストル,前 64頃) 。前 62年執政官 (コンスル ) の L.ムレナを収賄罪弾劾。 L.カチリナの謀議者処刑に票を投じて,カエサルの反感を買った。前 51年執政官の地位が得られないため引退を決意したが,前 49年カエサルに対して立上がった元老院とポンペイウス (大ポンペイウス) に味方し,敗れてアフリカのウチカで自害死後 M.キケロが彼に賛辞カトー』を送れば,カエサルは『反カトー論』をもって激しく反駁後世,清廉潔白,高徳の士としてたたえられた。

カトー(大)
カトー[だい]
Cato, Marcus Porcius

[生]前234. ツスクルム
[没]前149
ローマの著述家,政治家,雄弁家。民族主義的,反ヘレニズム的傾向の代表者。貧農の出身。執政官 (前 195) をはじめ多くの官職を歴任したが,彼を有名にしたのは監察官の職 (前 186) で,「監察官カトー」 Cato Censorと通称される。貴族の弛緩した風紀を引締め,奢侈浪費を押え,ギリシア文化の輸入に反対してギリシアの哲学者と修辞学者のローマ居留を禁じた。彼の理想は古代の質素な農業国家への復帰で,ギリシア主義のスキピオのサークルと対立した。晩年カルタゴの繁栄をみて粉砕の必要を説いた。著書のうち歴史書『ローマ起原論』 Originesと演説集は散逸したが,『農業論』 De Agri Culturaは現存するローマ最古の散文作品である。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カトー」の意味・わかりやすい解説

カトー(大)
かとー
Marcus Porcius Cato Censorius
(前234―前149)

古代ローマ、共和政中期の将軍、政治家。文人としても有名。中部イタリアのトゥスクルム出身。第二ポエニ戦争に従軍したのち、「新人」として政界に登場し、諸官職を歴任したのち、紀元前195年のコンスル(執政官)、翌前194年のコンスル代理官としてスペインを統治した。スキピオ一族と対立しつつも、その後も政治、外交面で活躍したが、とくに前184年にはケンソル(戸口総監)としてローマの道徳、社会、経済の立て直しを図った。雄弁家としても知られ、属州統治、対外政策にも国粋主義、保守主義の立場から論陣を張った。とくにヘレニズム化の風潮に対して、古ローマの質実剛健さの回復を説いた。最晩年には、第三ポエニ戦争直前に主戦論を唱えている。文人としては、ラテン散文学の祖といわれ、ラテン語で書かれたローマ最古の歴史書『起原論』Origines(7巻)と『農業論』De Agri Culturaがあるが、前者は散逸した。

[長谷川博隆]


カトー(小)
かとー
Marcus Porcius Cato Uticensis
(前95―前46)

古代ローマ、共和政末期の政治家。大カトーの曽孫(そうそん)。カエサルの政敵。ストア哲学の信奉者。護民官に選ばれたのち、反カティリナの立場をとり、元老院を中心とする共和政の伝統護持の姿勢を守り、カエサル一派に対抗し続けた。とくに紀元前49年からのカエサルとポンペイウスとの内戦にあたっては、多くの元老院議員と後者の側についてシチリアで戦った。ポンペイウスの死後はアフリカにポンペイウス派を結集し、スピキオを総司令官としてカエサルに抗したが、タプススの敗戦の知らせを受け、ウティカで自刃した。高潔な人物として知られ、同時代人および後世の人々により共和政的自由に殉じた人とたたえられている。

[長谷川博隆]

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