ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カトー」の意味・わかりやすい解説
カトー[ウチカ]
Cato Uticensis, Marcus Porcius
[没]前46. ウチカ
古代ローマの政治家。カトー (大)の曾孫。共和政護持に努めた元老院の保守的貴族でユリウス・カエサルの政敵。前 67年マケドニアの護民官 (トリブヌス・プレビス ) 。のち財務官 (クアエストル,前 64頃) 。前 62年執政官 (コンスル ) の L.ムレナを収賄罪で弾劾。 L.カチリナの謀議者処刑に票を投じて,カエサルの反感を買った。前 51年執政官の地位が得られないため引退を決意したが,前 49年カエサルに対して立上がった元老院とポンペイウス (大ポンペイウス) に味方し,敗れてアフリカのウチカで自害。死後 M.キケロが彼に賛辞『カトー』を送れば,カエサルは『反カトー論』をもって激しく反駁。後世,清廉潔白,高徳の士としてたたえられた。
カトー(大)
カトー[だい]
Cato, Marcus Porcius
[没]前149
ローマの著述家,政治家,雄弁家。民族主義的,反ヘレニズム的傾向の代表者。貧農の出身。執政官 (前 195) をはじめ多くの官職を歴任したが,彼を有名にしたのは監察官の職 (前 186) で,「監察官カトー」 Cato Censorと通称される。貴族の弛緩した風紀を引締め,奢侈浪費を押え,ギリシア文化の輸入に反対してギリシアの哲学者と修辞学者のローマ居留を禁じた。彼の理想は古代の質素な農業国家への復帰で,ギリシア主義のスキピオのサークルと対立した。晩年カルタゴの繁栄をみて粉砕の必要を説いた。著書のうち歴史書『ローマ起原論』 Originesと演説集は散逸したが,『農業論』 De Agri Culturaは現存するローマ最古の散文作品である。
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