古代ローマ、共和政末期の政治家、将軍。父親は紀元前77年のコンスル(執政官)。ポストゥミウス・アルビヌスの養子となる。ガリア戦争で、カエサルの忠実な武将、とくに艦隊司令として活躍し、内乱ではマッシリアの陣の海戦で功をあげたのち、ガリア・トランサルピナの長官に任ぜられ、オクタウィアヌスに次ぐカエサルの後継者に定められたが、前44年3月15日のカエサル暗殺に加担した。前44年末からムティナでアントニウスに包囲されたが、前43年4月21日救援され、マルクス・ブルートゥスと連絡をとろうとしてマケドニアへの逃走の途中、一ケルト人に捕らわれ、アントニウスの命令により殺された。
[長谷川博隆]
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報