日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
プロクター・アンド・ギャンブル
ぷろくたーあんどぎゃんぶる
The Procter & Gamble Co.
アメリカ最大の総合家庭用品メーカー。略称P&G。本社所在地はオハイオ州シンシナティ。
[萩原伸次郎]
歴史
プロクター・アンド・ギャンブルの歴史は、1837年にイギリス生まれのろう職人プロクターWilliam Cooper Procter(1801―1884)とアイルランド生まれのせっけん職人ギャンブルJames Norris Gamble(1803―1891)の2人によって設立された合資会社にさかのぼる。1850年ごろには、せっけんとろうそくの生産量がシンシナティ第1位の会社に成長し、南北戦争下では大量の需要に応じた。1879年に発売された世界的にも有名なせっけんのアイボリーIvoryは、創業者の息子の一人である初代宣伝部長のハーレー・T・プロクターによって名づけられた。ハーレー・プロクターは同製品の広告を新聞やバスの乗車券などに載せて大規模な宣伝活動を行った。また、立看板を掲げた馬車による各家庭への製品配布はサンプリング調査(標本調査)の草分けとなった。さらに1920年代には本格的な「消費者調査」を始めるなど、同社はマーケティングのパイオニア的存在としても有名である。
1933年、界面活性剤を採用した初の家庭用合成洗剤ドレフトDreftを発売、1946年にはより洗浄力を高めたタイドTideが発売された。溶けやすく沈殿しにくいこの商品は、洗濯機の普及に貢献した。1957年、紙製品の中堅メーカーのチャーミン・ペーパー・ミルズCharmin Paper Millsを買収し、その4年後の1961年に紙おむつのパンパースPampersが発売され、今日もなお世界各国で売られている。同社は優れた研究開発を行うとともに既存の主力製品の改良を重ね、家庭用品のすべての分野における先駆者的存在として、アメリカ国内はもとより全世界でトップ・メーカーの地位を占めるようになった。
[萩原伸次郎]
海外進出と多角化
1915年のカナダへの進出を皮切りに、海外に事業拠点を拡大。1980年代以降は企業買収や提携による事業の拡大を図り、薬品、スキンケア製品、化粧品などの業界に進出した。1985年、ヘルスケア事業のリチャードソン・ビックスRichardson-Vicksを12億ドルで買収した。1991年には世界的な化粧品メーカーのマックス・ファクターMax Factorを買収。以後、1990年代末までに140か国以上で約40の製品分野に及ぶ300以上のブランドを製造・販売する多国籍企業となった。主要ブランドであるパンパース、かぜ薬のビックスVicks、化粧品のマックス・ファクターなどの名は、日本でもなじみのものである。1993年の同社工場の世界的リストラクチャリング(経営再構築)など、国際競争を意識した生産性向上による価格コントロール戦略が功を奏し、1990年代は右肩上がりの営業成績を記録した。1998年の売上高は372億ドル、純利益は38億ドルであった。
その後も次々にM&A(合併・買収)を進め、ペットフードのジ・アイムス社The Iams Co.(1999年)、化粧品のウエラ社Wella AG(2003年)、かみそりのジレット社Gillette Co.(2005年)をグループ傘下に収める一方、治療用医薬品部門などを売却し、消費者向けヘルスケア事業に経営資源の集中を進めている。2009年時点で、約80か国に事業拠点をもち、従業員数は約13万5000人。2009年の売上高は790億2900万ドル、純利益134億3600万ドル。売上高構成比は化粧品部門33%、ヘルスケア部門21%、家庭日用品部門46%。売上高が10億ドル以上の製品ブランドは24を数え、世界最大の消費財メーカーである。
[萩原伸次郎]
日本での活動
日本では、1972年(昭和47)にプロクター・アンド・ギャンブル・サンホームが設立された。1982年に兵庫県明石(あかし)市の紙関連製品を生産する工場が操業を開始。1984年、アジア地域の拠点として組織を統合し、プロクター・アンド・ギャンブル・ファー・イースト・インクに社名を変更、さらに2006年にプロクター・アンド・ギャンブル・ジャパンに改称した。
[萩原伸次郎]