ペリ(読み)ぺり(その他表記)César Pelli

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ペリ」の意味・わかりやすい解説

ペリ
ぺり
César Pelli
(1926―2019)

建築家。アメリカを拠点に活動。アルゼンチントゥクマンに生まれる。1949年トゥクマン国立大学建築学科卒業。1952年に渡米し1954年イリノイ大学で建築学修士号取得。同年エーロ・サーリネン事務所に入社。1964年からDMJM事務所で設計部長を務め、1966年副社長に就任。1968年グルーエン・アソシエイツのパートナーとなる。1972年と1974年にエール大学建築学科客員教授、1975年カリフォルニア大学ロサンゼルス校建築科客員教授、1977年エール大学建築学部長。同年コネティカット州ニュー・ヘブンでシーザー・ペリ・アンド・アソシエイツを設立。

 ペリは自身のことをプラグマティスト(実用主義者)とよび、論文「第三の世代の建築家たち」Third Generation Architects(1971)で近代主義の規範からの解放を唱えた。同論文では近代建築の体系をつくったル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエ、メンデルゾーンらを第一世代、これを受け継ぎ展開させてきたエーロ・サーリネン、丹下健三、ポール・ルドルフ、フィリップジョンソン、ルイス・カーンらを第二世代とし、自らの世代を第三世代とよんだ。第一、第二世代にあった自己の独創性のみを尊重する姿勢を拒否し、それまでの知的成果を社会の共有物とする建築家として自己規定した。こうしたペリの思想の背景には1964年までその下で働いていたエーロ・サーリネンの存在が大きい。サーリネンの建築において、TWAエア・ターミナル(1962、ニューヨーク)は空飛ぶ鳥、農機具会社のディア・カンパニー本社(1963、イリノイ州)は錆(さ)びた農具のイメージといったように、建物ごとにまったく違ったデザインのスタイルがあった。ペリはサーリネンから学んだことを次のように述べている。「私たちが彼から学んだのは形態のプロセスではない。私たちは考え方を、プロセスを、建築に対する敬意を、建築に対する愛情を学びとった」。実験的で詩的な彫刻というべきサーリネンの個性豊かな表現ではなく、そこで学んだ技術的解決や方法論を基本として、その応用を展開することがペリのスタンスである。

 1960~1970年代の作品には、サン・バーナーディーノ市庁舎(1969、カリフォルニア州)、アメリカ大使館(1972、東京)、パシフィック・デザイン・センター(1975、ロサンゼルス)など、ガラスとスチール・マリオン(垂直の窓枠)を多用したカーテンウォールによる作品が多い。自身の事務所における1980年代以降の仕事としてはMoMA(ニューヨーク近代美術館)の増改築(1984)があげられる。その後のプロジェクトにおいては高層建築が中心となったこともあり、20世紀前半に多くつくられたスカイスクレーパー摩天楼)のスタイルを彷彿させる垂直性の強い表現が多くみられる。ピラミッド状の頂部をもつニューヨークのワールド・ファイナンシャル・センター(1987)は、デザイン面から頂部をセットバック(上部を段状に後退させること)させ、古典的な塔に対するガラスでつくられたオマージュのようであった。テキサス州ヒューストンランドマークである住居タワー群、フォー・オークス・アンド・フォー・リーフ・タワーズ(1982)も同様で、ここでペリがデザインしているのはカーテンウォールのディテールと、エントランス、アトリウム(吹き抜け空間のある中庭)まわりのみで、実用主義的な建築を実現させた。1990年代にはアジアでのプロジェクトも増え、日本でもNTT新宿本社ビル(1995、東京)、シーホークホテル&リゾート(1995、福岡)などを完成させた。また、マレーシアのペトロナス・ツイン・タワー(1997、クアラ・ルンプール)は451.9メートルの超高層ビルディングである。

 アメリカ建築学会特別会員、アメリカ文芸アカデミー会員。アメリカ建築家協会会社賞(1989)、アメリカ建築家協会ゴールド・メダル(1995)のほか、100以上の受賞歴がある。そのほかのおもな作品には、ビジュアル・アーツ・センター(1983、オハイオ州)、クリーブランド・クリニック・ビルディング(1984)、ライス大学へリング・ホール(1984、ヒューストン)、ハートフォード大学学生宿舎・コミュニティ・ビル(1985、コネティカット州)、カーネギー・ホール・タワー(1991、ニューヨーク)、ワシントン・ナショナル空港北ターミナル(1997)などがある。

[日埜直彦]

『『秀逸建築家シリーズ10選 シーザー・ペリ』(1994・シグマユニオン)』『ジョン・パスティエ著、山田弘康訳『現代建築家シリーズ シーザー・ペリ』(1982・グラフィック社)』『隈研吾著『グッドバイ・ポストモダン――11人のアメリカ建築家』(1989・鹿島出版会)』『「特集シーザー・ペリ」(『a+u』1971年3月号・エー・アンド・ユー)』『「特集シーザー・ペリ」(『a+u』1976年11月号・エー・アンド・ユー)』『「特集シーザー・ペリ」(『a+u』1985年7月号・エー・アンド・ユー)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペリ」の意味・わかりやすい解説

ペリ
Pelli, Cesar

[生]1926.10.12. アルゼンチン,サンミゲルデトゥクマン
[没]2019.7.19. アメリカ合衆国,コネティカット,ニューヘーブン
アルゼンチン生まれのアメリカ合衆国の建築家。アルゼンチン国立トゥクマン大学で建築を学び,1949年卒業。1952年にアメリカに渡り,1954年イリノイ大学大学院を卒業,1964年帰化。エーロ・サーリネンの事務所に入り,ニューヨークのジョン・F.ケネディ国際空港のトランスワールド航空 TWAターミナルビルのプロジェクトなどに参加した。その後 1964~68年ロサンゼルスのダニエル・マン・ジョンソン&メンデンホールのデザインディレクター,1968~77年グルーエン・アソシエーツの設計パートナーを経て,1977年ニューへーブンに自身の事務所を設立。1977~84年エール大学建築学部長を務めるなど教育にも貢献した。ガラスや薄いストーンべニヤを多用した建物の設計で知られ,超高層ビルを多く手がけた。ニューヨークのワールド・フィナンシャル・センター(1988)では内部にヤシの木が林立する巨大なアトリウムを実現させた。1998年に完成したマレーシアのペトロナスツインタワーは,当時世界一の高さを誇ったことで知られる。ほかに在日アメリカ大使館(1972),ロサンゼルスのパシフィック・デザイン・センター(1975),あべのハルカス(2014)などがある。また,アメリカ建築家協会 AIAゴールドメダル(1995)など,80以上の優れたデザイン賞を受賞している。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ペリ」の解説

ペリ Péri, Noël

1865-1922 フランスの宣教師,日本研究家。
1865年8月22日生まれ。明治22年(1889)パリ外国宣教会宣教師として来日。布教のかたわら東京音楽学校で和声学,作曲法をおしえる。のち宣教会をはなれ,能など日本文化の研究に専念した。39年日本をさり,ハノイ極東フランス学院研究員。1922年6月25日死去。56歳。パリ大卒。

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367日誕生日大事典 「ペリ」の解説

ペリ

生年月日:1876年7月3日
アメリカの実在論哲学者
1957年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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