現在の社会的・文化的構造を過去の宗教的権威や道徳的規範に立脚しながら構築しようとする伝統主義と絶縁し,〈世界の合理化〉という普遍原理に基づいて社会や文化の建設を推進しようとする精神的態度のこと。したがって,伝統主義と対置された近代主義においては,秩序よりも進歩が,宗教よりも科学が,個別主義よりも普遍主義が,属性原理よりも業績主義が尊重され鼓吹される。封建社会から資本主義社会への進化・発展の駆動力の一つが,この種のエートスであったことはいうまでもない。しかし,イギリスやフランスのような先発国にみられるように,このエートスが相当数の市民層のなかに定着し,ブルジョア革命の推進力となった場合と,ドイツや日本のような後発国にみられるように,それが一握りの政治的エリートの嚮導理念となり,〈上からの革命〉の駆動力に終わった場合とが区別されねばならない。
こうして,近代主義は,19世紀の資本主義社会において時代精神となり,社会や文化の正当化原理としての機能を果たすことになったが,伝統主義が完全に消滅したわけではなかった。とくに〈文化的遅滞〉の原則によって進歩のペースが遅れる文化や意識の領域では,伝統による束縛や拘束が根強く残存していた。こういう状況をまえにして,とくに宗教や文芸を先頭とした文化や意識の領域で,近代主義的理念や価値の貫徹をうたった運動が興ることになった。その先駆となったのが,後発のカトリック教国における一部の教会によって点火された聖世界の世俗化の動きであり,それに続いたのが1920年代の文芸世界におけるいわゆる〈前衛芸術modern art〉運動だった。とくに後者は,封建的伝統を攻撃するばかりではなく,いまや〈新たなるものの伝統〉として市民文化の世界に君臨することになったブルジョア的世界観そのものにまで挑戦した。その結果,この反伝統の運動は旧慣墨守の保守主義への反対にとどまらず,一部に,制度,道徳,知性そのものまでも根源的な懐疑精神によってとらえ返そうとする急進主義(ラディカリズム)の風潮を生み出すことになった。とくに風俗やライフスタイル面でのラディカリズムは,日本の〈モボ・モガ〉現象にみられるように,醇風美俗世界の強い情緒的反発に出会うことになった。
こうした一部の過度に誇張された近代主義の動向に対して,退廃,背徳,反秩序等のラベルをはりつけ,根源悪としての〈近代の超克〉をはかるというスローガンを掲げて登場してきたのが,ファシズムである。それは技術的効率に奉仕する機能的合理性を除くすべての近代主義的価値を否定し,それに代わって,伝統主義的価値,つまり全体主義,共同体主義,人種主義,反合理主義などを称揚した。
第2次大戦後,とくに敗戦国日本とドイツでは,深い倫理的反省に支えられた文化批判が活発化し,自我,主体性,実存,解放等をめぐる論争のなかで,ふたたび文化運動としての近代主義が復活した。文学や哲学の分野のみならず,社会科学の領域にまで及んだこの近代主義の運動は,両国に社会認識の枠組みとしての方法論的個人主義を定着させたばかりでなく,社会変革と個人変革の同時達成という民主化の基本路線を植え付けるうえでも一定の効果を果たした。
ところで,戦後間もなく始まるイデオロギー的冷戦構造のなかで,正当化原理の彫琢と補強を付託されたアメリカの社会科学者もまた,近代の再定義に取り組むことになった。いわゆる〈近代化〉論の展開がそれである。これまであいまいで無規定だった近代化の測定基準や指標を科学的に明細化するという意図のもとに進められたこの努力は,一見,国際比較のための安定化し標準化された尺度を提出したかにみえた。しかし詳細に検討すると,それはアメリカ社会をもって最も近代化された社会とみなし,この理想型からの距離によって近代-非近代を決定するという民族中心的なものであることが判明した。いいかえれば,それは世界システムという枠組みのなかでアメリカを中心におき,発展途上国を辺境に据える〈従属体制〉の自己合理化であり,それぞれの国が抱えている特殊事情を無視して,アメリカという特殊な国の単線的進化図式をモデルとしてそれらにおしつけることは,まさに覇権主義にほかならぬというわけである。こうした批判を提出したのが第三世界のいわゆる〈従属社会〉論である。その後の論争過程のなかで,アメリカ版〈近代化〉論のみならず,近代主義的エートスそのものが,西欧中心的な個別主義的価値ではないかという批判が拡大しつつあるのが現実である。
さらに先進資本主義内部でも,文明の逆説や逆機能現象の噴出によって,生産主義,業績主義,機能的合理性などが批判や告発の焦点となり,〈対抗文化〉運動を発生させている。このように,今日,近代主義は内外からの二重の批判を浴びてよろめいているが,これは一つの世界システムの終焉(しゆうえん)を物語るものであろう。
→近代化 →近代社会 →モダニズム
執筆者:高橋 徹
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…過去の様式(歴史的様式)から離脱し,鉄,ガラスなどの新しい建築材料を用いた建築を生み出した19世紀末から20世紀初頭の建築に対しては,一般に〈近代運動Modern Movement〉という呼称が,また,過去の様式にはよらない新しい造形が確立された1920~30年代の建築に対しては〈国際様式International Style〉もしくは〈国際近代International Modern〉という呼称が用いられる場合が多い。 建築運動の中で〈近代〉という言葉が最初に用いられるのは,1860年ロンドンの建築協会の集会における〈近代主義Modernism〉という発言であったといわれ,そこでの,様式的に過去から離反しようとする意識は近代建築の基本的性格でありつづけた。国際様式という概念はグロピウスの著書《国際建築Internationale Architektur》(1925)に触発されて,1932年にニューヨーク近代美術館で開かれた建築展に際して,H.R.ヒッチコックらによって命名されたものである。…
…一般的には,伝統社会の社会的・文化的構造からの脱却を企図する精神的傾向を指す語で,〈近代主義〉と訳される。狭義の〈近代主義〉は封建社会から資本主義的市民社会への移行期における,その普遍的な正当化原理として明瞭な時代精神の特徴をもつが,広義には,近代化modernizationなどとともに,この移行にともなう社会・文化諸領域の没主体的な変化それ自体から,伝統社会化したブルジョア的市民文化への対抗という主体的・積極的な主張まで幅広い意味が含まれている。…
…詩においては官能的なオラーボ・ビラック(1865‐1918)は高踏派を,黒人詩人クルス・イ・ソウザ(1861‐98)は象徴主義(1890‐1900)を代表している。 20世紀の最初の20年間は19世紀文学の名ごりをいまだにとどめた過渡期であるが,ブラジル社会全体の激動期でもある20年代に入ると,旧世代にあきたらず新しい文学の出現を希求する世代が現れはじめ,近代主義期(1920‐45)の幕あけになる。この運動はヨーロッパのシュルレアリスム,未来派などの前衛的芸術運動に触発されたもので,統一的な美学をもたず個人的色彩の強いものであるが,既存の文学,とくにアカデミズムを打破し,芸術的自由,文学的ナショナリズムの獲得を目指した。…
※「近代主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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