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ボスニア和平プロセス ぼすにあわへいぷろせす

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知恵蔵2015の解説

ボスニア和平プロセス

1995年11月、米国のデイトンの空軍基地に紛争3当事国の代表が参集、3週間にわたる交渉の結果、3者がそれぞれ妥協を重ねて合意に達した。これが21日に発表されたデイトン和平合意である。「統一ボスニア」を一貫して主張してきたムスリム勢力が、ボスニアの二分割を実質的に認めたことが大きい。合意内容の骨子は、(1)ボスニア・ヘルツェゴビナは現在の国境線のまま「単一国家」として存続、(2)ボスニアはボスニア連邦(ムスリム勢力とクロアチア人勢力で構成)とセルビア人共和国からなる、(3)「ボスニア連邦」と「セルビア人共和国」は隣国(クロアチアと新ユーゴ〈当時〉)と「特別な関係」を樹立し得る、(4)北大西洋条約機構(NATO)を中心とした多国籍の和平実施部隊(IFOR)が停戦監視することなど。一方、同年12月8、9の両日、ロンドンで42カ国と14の国際機関が参加して、和平実施会議が開催され、民政面での和平実施を統括する機関として、和平実施会議(PIC)が設置された。軍事面での和平安定化部隊(SFOR)と民政面での和平実施会議を二本柱として和平プロセスが進行した。96年9月のボスニアの統一選挙は「単一国家」を機能させるために、「ボスニア連邦」と「セルビア人共和国」という2つの政体にまたがる中央機構として、連邦幹部会や中央議会の下院議員を選出するものだった。しかしボスニア全土に共通の基盤を持つ政党の育成と統一ボスニアへの道は、遅々として進まなかった。97年12月にPICの権限が強化され、98年に入ると、PICのもとで民政面の責任者であるウェステンドルプ上級代表は共通の通貨やパスポートを定め、統一の国旗も制定した。9月には2度目の統一選挙が実施され、統一ボスニアへ向けての展望がわずかながら開けてきた。99年10月オーストリアのペトリッチが上級代表に就任すると、民族間の融和を掲げて、その権限をさらに強めた。2000年11月の3度目の統一選挙では、全土に共通基盤を持つ社会民主党系の諸党が一定の勢力を持つに至り、初めて民族政党に基盤を置かない中央政府が成立。02年10月の統一選挙では、国際社会の期待に反してムスリム、セルビア人、クロアチア人の民族主義政党が大幅に得票を伸ばした。ボスニアの前途は多難である。

(柴宜弘 東京大学教授 / 2007年)

出典|(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵2015」
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