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ボルチ Balch, Emily Greene

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ボルチ
Balch, Emily Greene

[生]1867.1.8. マサチューセッツ,ジャマイカプレーン(現ボストン)
[没]1961.1.9. マサチューセッツ,ケンブリッジ
アメリカの政治学者,経済学者,平和運動家。ペンシルバニアのブリンマー・カレッジを卒業後,1897年からマサチューセッツのウェルズリー・カレッジで教える。ボストンにセツルメントを設立し,マサチューセッツの産業関連や移民関係の委員会,1914~17年ボストン市計画局などで働いた。 1910年アメリカ各地のスラム地区,西ヨーロッパを視察。クェーカー派フレンド協会の会員として,15年ハーグ国際女性会議に出席,19年には「平和と自由のための婦人国際連盟」の創設に協力し,出納局長やアメリカ支部長などを歴任 (1919~22,34~35) 。 1918年,第1次世界大戦へのアメリカの参戦に反対したためウェルズリー・カレッジの教授を解任される。第2次世界大戦に際しては,ナチス・ドイツと日本の非道を認め,アメリカの参戦を指示した。 46年 J.R.モットとともにノーベル平和賞を受賞。

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百科事典マイペディアの解説

ボルチ

米国の経済学者。マサチューセッツ州生れ。ウェルズリー大学教授を経て国際婦人平和同盟の国際関係事務を主管,1936年その名誉会長。1946年ノーベル平和賞。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ボルチ
ぼるち
Emily Greene Balch
(1867―1961)

アメリカの社会改革者、経済学者。法律家の娘としてボストンに生まれる。1889年ブリン・モア大学を卒業、パリ、ベルリンに留学し経済学を学んだ。1896年ウェルズリー大学の教員となり、1913年経済学と社会学の教授に昇格した。この間、女性参政権、人種差別反対、年少者労働の制限などの社会運動に参加した。平和問題にも関心をもち、1915年にはオランダのハーグで開かれた国際女性会議(後に、平和と自由のための女性国際連盟と改称)に出席し、重要な役割を果たした。第一次世界大戦へのアメリカ参戦に反対し、過激に運動したため、1918年にウェルズリー大学を解雇された。1919年から1922年まで、平和と自由のための女性国際連盟の書記を務めた。1934年にこの組織が財政危機にみまわれたときは無償で活動し、1936年に名誉会長となった。第一次世界大戦後は国際連盟で軍縮、航空の国際管理、薬物問題などのプロジェクトで活躍した。一方、ナチスの勢力が拡大することを心配し、第二次世界大戦ではアメリカの参戦を支持した。1946年に同じくアメリカの宗教家モットとともにノーベル平和賞を受賞した。[編集部]

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